幼女失踪事件を舞台に、家族の絶望や不安、喪失感、罪悪感をリアルに描く映画「ミッシング」。家族とともにスポットが当てられたのは、取材を続けるテレビ局の取材班。
砂田(中村倫也)と常に行動を共にするのが、カメラマンの不破(細川岳)だ。カメラマンは、レンズを通して何を見て、何を感じているのだろうか。
この記事では、取材のカメラマン不破と、彼を演じる細川岳について深掘りする。
不破の目:プロのカメラマンとしての視点
不破はいつも動じない。どんな場面でも、プロのカメラマンの仕事を淡々と続ける。現場で何が起ころうと、自分の仕事はカメラを被写体に向けていなければならない。
取材される人間からどれだけテレビ局がほしい情報を引き出せるかは、砂田(中村倫也)の仕事だ。あまりしゃべりがうまくない沙織里の弟・圭吾から、少しでも情報を得たい砂田。だが、相手を怒らせては元も子もない。
少しずつ、言葉を選びながら語り掛ける砂田。カメラマンの不破は、じっとカメラを回し続ける。
局に帰って編集する側の立場になることも必要だ。何時間カメラを回そうと、実際に本番で使われるのは何十秒かもしれない。ほしい画(え)が得られなければ、まったく採用されない可能性もある。そのために、相手が嫌な部分もとりあえず撮影することもある。
現に、不破は圭吾の自宅を訪問したとき、圭吾の許可なしに、彼の布団が敷いてある乱雑な部屋を撮影し、圭吾に注意されている。
不破は、常にスクープが欲しいと望んでいる。それこそが、カメラマンのやりがいである。自分だけの画。どこのカメラマンにもなし得ないスクープは、常に取材に立ち、カメラを回し続けることによってしか成し遂げられない。
夫婦の家で取材をしていたとき、妻の沙織里の携帯に「美羽ちゃんが保護されました」と警察から連絡が入る。半狂乱になって警察へ向かう夫婦。もちろん、砂田も不破も同行する。これほどのスクープはない。
警察内部ではカメラは大っぴらに回せないから、砂田がこっそりスマホで撮影する。沙織里の携帯に届いた報せは「ニセモノ」だった。悪質ないたずらである。それを知ったときの沙織里の表情と行動は、まさに天国から地獄へ落とされた母親そのものだった。
砂田は途中でスマホの撮影を止めた。不破はカメラマンとして「なんでここで止めたんですか!」と驚いた。イタズラの通報だったとしても、それはそれでスクープとして放映すれば視聴率が上がる。ここは、プロのカメラマンとして、不破だったら絶対にカメラを回していただろう。
丸めて捨てられたビラ
砂田と不破は、駅まででいつものようにビラを配っている沙織里を取材していた。どうしても、いつもと変わらない画になってしまうので、何か変化を持たせたい砂田。
砂田が沙織里と話しているとき、不破は捨てられたビラを拾って、沙織里のそばにそっと置く。必死でビラを配る沙織里と、無造作に丸めて捨てられるビラを撮影し、母親と道行く人々の温度差を表現しようとする。
なるほど、カメラマンには演出はできないが、それらしい画を作ることもプロの技なのだと感心した。
「ひとりの人間」としての視点を持つ不破
砂田と不破は、夫婦の取材の帰りに飲食店に立ち寄る。
不破「砂田さんて、どんな結果を撮りたいんですか?」
砂田「結果とかじゃなくて、ただ事実を撮りたいだけだよ。まあでも、これから続く沙織里さんたちの苦しみには寄り添ってあげたい」
砂田のその言葉を聞いて、不破は数秒無言だった。
不破「意外っすね。美羽ちゃんが無事に見つかるって発想かと思った」
砂田は不破の言葉を聞き、ハッとした。その通りだ。人として、美羽ちゃんの無事を一番に思わなければならなかった。砂田は、取材を続けているうちに、人として大事なことを忘れるところだった。美羽ちゃんの無事を祈ることを。
砂田は、不破に助けられた。不破のひと言が無かったら、砂田は深い闇に落ちるところだった。
カメラのレンズから覗く世界と、リアルの目で見る世界
カメラマンの仕事は非情に難易度が高い。私たちは、普通何かを見るときに、その対象物だけでなく、まわりの物たちもぼんやりと視界に入っている。
だが、カメラのレンズを通すと、その対象物しか見えないのだ。不思議だが、そういうものだ。
カメラのレンズで撮った画像は、現実の世界を切り取ったものだ。
不破は、レンズを通して見る世界と、自分の目で見る世界のふたつの世界を感じている。だからこそ、砂田の「取材する側の人間」の言葉に、違和感を持ったのだ。
すべてのカメラマンが、砂田のような人間ではないかもしれない。だが、カメラマンの撮影したものを編集した、ほんの少しの画を、私たちはテレビを通して見ている。その画に、私たちは怒ったり感動したり、笑ったり泣いたりしている。
カメラマンの仕事は私たちの心を揺さぶる。偉大な仕事なのだ。
不破を演じる細川岳のすごみ
映画「ミッシング」では、不破は目立つ存在ではない。だが、取材の時は必ず存在する。影のようだが、影ではない。
重いカメラを持ち上げる不破は、取材の重みを表す貴重な存在だ。私はこれまで、カメラマンという存在を意識したことはなかった。だが、ミッシングを観て、カメラのレンズから見た世界はどのようなものだろう、と思わずにはいられなかった。
そんな気持ちにさせてくれたのは、間違いなく「細田岳」の演技力に他ならない。セリフがない中で、ただカメラを回しているだけなのに、あの真に迫った演技はなんだろう。
店で、砂田に放ったひと言。あの「間」と、ちょっと驚いたときに見せる、言いようのない「笑い」の表情が、観ている者の心をえぐった。人としての正しさとでも言えばいいのだろうか。この人は、取材をしているとき、カメラを回しているとき、どんな時でも美羽ちゃんの無事を祈っているに違いない。
不破を通して、細田岳という人間が少しわかったような気がした。
私はこの映画をNetflixで観たのだが、細田の言うように、映画館で観ればよかったと後悔している。暗い映画館で観る映画は、また違った重みを感じさせてくれるだろう。