帰れマンデーで軍艦島の知られざる実態を発見!朝子の食堂も存在した!

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TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」で舞台となっている端島(はしま)。軍艦に似ていることから「軍艦島」と名付けられた。

今は無人島となっている端島。だが、50年前にはそこに人々の営みがあった。

廃墟となってしまった端島(軍艦島)は、今どうなっているのか。「帰れマンデー」でタカトシと小泉孝太郎が実際に軍艦島に渡り、元住民に案内してもらった映像が素晴らしいので、この記事で紹介する。

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目次

端島(軍艦島)は何だったのか?

端島は、長崎港から船で約40分のところにあり、人工の島だ。

海底にある炭鉱を掘り出すために、埋め立てて造られた。岸壁が島全体を囲っており、鉄筋コンクリートの建物が立ち並ぶその外観は圧倒的だ。

最盛期(1960年代)には5300人もの人が住み、当時日本一の人口密度を誇っていたと言う。島には学校や病院、映画館やパチンコ、青空市やデパ地下などがそろい、すべての生活環境が島にそろっていた。

端島の石炭はとても良質で、日本の近代化に大きく貢献した。だが、エネルギーが石炭から石油へという大きな流れとともに、1974年に閉山。島民も端島から出ざるを得なかった。

人々が島を離れて50年。元住民の高比良さんの案内のもと、軍艦島の非公開エリアへと進んでいくタカトシと小泉孝太郎。

端島の学校

軍艦島には、小学校と中学校があった。高校生になると、長崎まで通う子もいたし、隣の島に高校があったので、そこに船で通う子もいたということだ。

一行が進んでいくと、突然高比良さんが「私が住んでいたのはあそこです」と教えてくれた。「あそこの建物の、9階建ての8階に住んでいました」

当然だが、廃墟だ。

高比良さんの父親は、坑内ではなく、坑外で働いていた。炭鉱から運び出した石炭を燃やして炭を作る仕事だ。3交代制勤務なので、8階から弁当を届けるのが、子どもだった高比良さんの役目だった。

9階建ての建物だったが、エレベーターは無く、昇り降りは階段のみだった。

歩いて行くと、ついに学校らしき建物が現れた。「ここか?」と一同。近くに寄ってみると、確かに「棚」があったり、学校の廊下らしきものも見えた。そして、出てきたのは巨大な広場。ここは校庭だ。

まさしく、ここは軍艦島唯一の学校だった。

端島のアパートはお世辞にも日当たりが良いとは言えなかったので、せめて学校だけは太陽の光がたくさん差し込むようにと、教室には大きなガラス窓が取り付けられていた。

下の写真は、当時の学校だ。真っ白い建物で、美しい校舎だった。

現在の端島小中学校の全体像が、下の写真です。校庭がすごく広いですね。

実は、端島で唯一の「広場」はこの学校の校庭だけでした。

鉱員たちは日夜交代制で働いているので、子供たちは昼間でも大声で遊ぶことができませんでした。そのため、校庭が唯一、子供たちが全力で遊べる大切な場所となったのです。

子どもたちだけでなく、大人たちもここで走ったり、キャッチボールをして、運動していた。

運動会も盛大に行われました。小中学校の運動会だけでなく、会社の運動会も行われました。

炭鉱の運動会ならではの、面白い競技もありました。「枠立て競争」です。炭鉱では、トンネルの中を補強する枠立てという仕事がありますが、それを運動会の競技にして、どのチームが一番早く「枠立て」をできるかを競い合うものでした。これはいわば、奥さんたちに自分たちの仕事を見せるという意味合いもありました。

多くの子どもたちが勉強した教室は、床がぬけ、無数のがれきに覆われている。

1階から3階までの教室の窓には、野球のボールが当たってもいいように、金網が貼ってあった。金網も一部残っているのが見える。

この学校、最初は6階建てだったが、人口が増えたために急遽7階を増築することになった。

元々の校舎はコンクリートで頑丈だが、増築部分の7階は鉄筋。鉄筋はさびやすく、崩れやすい。現在は、7階部分だけ崩れてしまい、朽ち果てているのが分かる。

端島(軍艦島)の食堂

端島には、食堂が3つあったという。「厚生食堂」と呼ばれ、島民にとって無くてはならない存在であった。

「海に眠るダイヤモンド」の朝子(杉咲花)も「食堂の朝子」を演じているが、ドラマではコッペパンが大人気だ。

現に、元住民の高比良さんも「朝の4時か5時には焼きたてのパンが並んでいた」と証言している。食堂では、うどんもパンも、どんぶりもチャンポンも、何でもあったそうだ。

下の写真は、「海に眠るダイヤモンド」の朝子の食堂。当時も、こんなふうに焼きたてのパンが並んでいたのだろう。

厚生食堂は、島で働く人々の、福利厚生施設として作られた。

厚生食堂は、パン、ちゃんぽん、うどん、豆腐、かき氷など、多くの飲食を提供していた。朝子も夏は店の前でかき氷を売っている場面が出てくる。

当時としては最先端のスポットへ

一行が進んでいくと、何やら地下へ続く廃墟を発見。ここは「地下にある巨大なデパート」へ続く階段。もちろん、今は崩れてしまって、階段も朽ち果てている。

広さはアパート2つ分。相当広いデパ地下です。ここにはなんでも売っていた。高級品から、子どもが買う文房具まで。

炭鉱夫は、危険と隣り合わせの仕事ゆえ、高給取りだった。ですから、デパ地下では高級品も飛ぶように売れていったということだ。

当時、日本のサラリーマンの3か月分と言われていたテレビも、島では競い合うように一般家庭が購入した。鉄平の家も買っていた。

進平がよくたたずんでいた場所

ドラマでは、鉄平(神木隆之介)の兄、進平(齋藤工)がよくたたずんでいる場所がある。島の一番奥にあり、岸壁のない危ない場所。落ちればひとたまりもない荒波に飲み込まれる場所。現に、鉄平の妻は台風の日にこの場所で落ちて行方知れずとなっている。

まさに、その場所とそっくりな場所が、下の写真だ。「めがね」と言われているこの場所。タカトシも小泉孝太郎も、あまりの恐ろしさに震えるほどだった。

こうして現在の端島を見ていると、「海に眠るダイヤモンド」がいかに当時の様子を正確に再現しているかが分かる。

今は廃墟となってしまった端島(軍艦島)だが、50年前までは日本一栄えている島として、人々の躍動が感じられるようだ。とても不思議な気持ちになる。

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