2024パリ五輪では、日本の自衛隊から2人の選手が出場しました。近代五種の佐藤大宗選手、そして、男子レスリングフリースタイル74kg級の高谷大地選手です。
二人とも、見事銀メダルに輝きました。おめでとうございます!
この記事では、佐藤選手と高谷選手の競技について触れていきます。
佐藤大宗(さとうたいしゅう)選手 近代五種競技で銀メダル!
パリ五輪の第16日、10日に行われた近代五種競技で、男子の佐藤大宗選手(自衛隊)が日本勢初となる銀メダルを獲得しました。佐藤選手は馬術、フェンシング、水泳を終えた時点で4位に位置していましたが、射撃とランニングを交互に行うレーザーランで順位を上げ、見事に銀メダルに輝きました。
日本人はこれまで入賞すらなかった
澄み渡る青空の下、両手を突き上げた佐藤選手は「歴史をつくりました」と叫びました。これまで男女を通じて入賞すらなかった近代五種の個人種目で、日本初となるメダルを獲得したのです。五輪での採用から112年を経て、競技発祥の地であるフランスでこの快挙を達成し、佐藤選手は「誇りに思います」と感無量の表情を見せていました。
励みとなった父の言葉
佐藤選手は「朝から吐き気が止まらなかった」と明かしています。準決勝をB組1位で通過し、表彰台が見えてくると、緊張が襲ってきました。最終種目のレーザーランを迎える前には、膝に手をついて2度も嘔吐してしまいました。
そんな中、今は病床の父勇蔵さんから、家出したくなるほど刻み込まれた「死ぬ気でやれ」の教えがよみがえってきました。「まだ俺は死んでいない」と自らを奮い立たせ、「死ぬ気で行く」と決意を新たにしました。
限界を突破した人間の力を見せつけた
佐藤選手は、3位と6秒差で走り始めると、「最初から最後まで攻める」と序盤からペースを上げました。600メートルを5周するランニングでは、1周目で3位に浮上し、「当たる自信しかなかった」と語る射撃でも準決勝から命中率を向上させました。
「これが死ぬ気でやった人の限界突破なんだ」と感じた佐藤選手は、ゴール後にその場に倒れ込み、しばらくの間立ち上がれませんでした。
19歳で初めて知った近代五種
佐藤選手は、青森山田中高時代は水泳部に所属していました。
海上自衛隊を経て自衛隊体育学校に入校後、競技を始めました。他も自衛隊や警察の関係者が大半です。
過去112年で五輪12位が最高だった日本に待望されたエース佐藤選手でしたが、高卒後の19歳で初めてこの「近代五種」という競技を知って開眼したのです。
年齢の壁を越えて挑戦を続けた
日本近代五種協会によると、国内の競技者は約50人おり、その多くは自衛隊や警察の関係者です。海外勢に比べ、競技を始めるのが遅いのが現状ですが、佐藤選手も19歳で自衛隊体育学校に入学した後に挑戦を始めました。
それでも、「同じ人間、年数は関係ない」と信じ続けてきました。少林寺拳法や青森山田高校での競泳経験を生かし、常識を覆した30歳の夏となりました。
ベルサイユ宮殿の表彰台で、佐藤選手は誇らしげに銀メダルを見つめていました。
【パリ五輪電子号外】
— デーリー東北新聞社 (@daily_tohoku) August 10, 2024
青森市出身の佐藤大宗選手が男子近代五種で見事銀メダルを獲得しました。同競技で日本選手のメダルは初となる快挙です。号外をご覧になりたい方はこちら→https://t.co/8yK50FjRkE#デーリー東北 #青森県 #青森市 #パリ五輪 #近代五種 #佐藤大宗 #銀メダル pic.twitter.com/P8cwHsYhQC
競技後のインタビューで
実は大会前の会見で佐藤選手は、「日本人初のメダルしか私の頭にない。負けない自信がある。誰にも止められない」と宣言していました。
これには「記者会見をやっているうちにどんどん盛り上がって、かなり予定以上のことを話した」と、おちゃめな面も見せて記者たちの笑いをとっていました。
「最後のレーザーランでは“無双状態”に入って誰にも止められない状態。一人だけオーラが違うんじゃないか」と笑顔で語っています。気持ちの強さでは誰にも負けないんですね。
またメダルを獲れなかったら「パリ在住になっていたかも…」と笑みを浮かべていました。
日本に帰ってきてくれてよかったです!
「近代五種」とはどんな競技?
オリンピックの競技「近代五種」は、5つの異なる種目を1人の選手が行う複合競技です。これらの種目には、フェンシング、水泳(200メートル自由形)、馬術(障害飛越)、そして射撃とランニングを組み合わせた「レーザーラン」が含まれます。
近代五種は、元々は軍人の理想的な能力を測るために考案され、これらの5つの種目は、騎士が敵地に侵入し、情報を持ち帰るために必要な技術を象徴しています。競技は通常、1日で行われ、選手は体力、技術、精神力を試されます。
その歴史と過酷さから「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれています。提唱者であり近代オリンピックの創立者であるクーベルタン男爵は「スポーツの華」と称しました。
近代五種って、とてもハードな競技で、日本人には全く縁のない競技だと思っていました。興味はありましたが、これまでオリンピックでほとんど放映されなかったので、今回銀メダルを取るなんて素晴らしいことです!
ロス五輪からは馬術の代わりにSASUKEが登場
28年ロサンゼルス五輪からは馬術が外れ、人気テレビ番組の「SASUKE」をベースにした障害物レースが採用されます。
そのSASUKEを基にした障害物レースの新しい施設も、現在自衛隊によって設営されています。
これは佐藤選手にとって有利ですね!実は佐藤選手、SASUKEの大ファンだそうです。もちろん、近代五種の「SASUKE」への挑戦にも意欲を見せ、9月にも自衛隊内に完成する新施設で準備を進めるそうです。
すでにロス五輪への競争は始まっているんですね!ワクワクしてきます。
高谷大地(たかたにだいち)選手 レスリング 男子フリースタイル74kg級で銀メダル!
決勝を迎えた高谷選手です。両手を大きく上に掲げて、やるぞ!のポーズ。
高谷選手は、底抜けに明るい選手です。
男子フリースタイル74kg級の高谷大地選手(自衛隊)は決勝に進出しました。結果は銀メダルでした。勝つと思っていましたので、「惜しくも」とつけておきましょう。ですが、堂々の銀メダルです。見ていてとても誇らしかった!
高谷選手は、ロシアから国籍を変えたラザムベク・ジャマロフ選手(ウズベキスタン)と対戦。テークダウンを取られた後、そのままエビ固めで追い込まれ、フォール負けを喫しました。
銀メダルが決まり、奥様と喜びを分かちあってます。とっても嬉しそう!
この階級での優勝は、1976年のモントリオール大会での伊達治一郎選手以来となりませんでしたが、1996年アトランタ大会の太田拓弥選手の銅メダル以来のメダル獲得となりました。
オリンピックで優勝したときの高谷選手。いい写真ですね!!
優勝こそ逃しましたが、高谷選手は力強く日の丸を掲げ、堂々とした姿を見せてくれました。私たちも、嬉しい気持ちと誇らしい気持ちで胸がいっぱいでした。
高谷選手は「決勝でフォール負けするのも僕らしいかなと思った。本当につらい24年のレスリング人生だったが、こんないい経験が人生の中でできたことが幸せだった」と涙ながらに話していました。
FS74高谷大地🥈、決勝で敗れマットを降りたあと客席の妻の元に行くかこっちを伺ってる大地に「いけ!」と促し客席へ行かせた。私はあのゴーサインを出すためにパリに行ったな😊😇観客は大地を称え観衆に見守られる夫婦愛。大地は勝者を称え、勝者もカイルデイクはも大地を称え#パリ五輪レスリング pic.twitter.com/Ono9tkBLfJ
— Sachiko HOTAKA 8.5-11パリ五輪レスリング 保高幸子 (@greco_free) August 13, 2024
佐藤選手、高谷選手、お疲れ様でした。普段、自衛隊で厳しい訓練をしながら競技の練習もこなし、さぞかしハードな毎日を送られていることでしょう。頭が下がります。
そんな両選手に力を与えてもらった私たちは幸せ者です。オリンピックは終了しましたが、いただいた勇気やパワーは次のオリンピックまでずっと息づいていくことでしょう。
お疲れ様でした。そして、心からありがとうございました。あなたたちは日本の誇りです。