フジテレビ系「月9」ドラマ「海のはじまり」第9話では、目黒蓮さん演じる夏と大竹しのぶさん演じる朱音のやり取りがSNSで話題となった。
第9話のみならず、初回から朱音のセリフは女子たちの間でおおむね不評だった。自分が言われたような気持ちになったのだろう。
この記事では、朱音の言葉と性格について、徹底的に掘り下げてみる。
「当たり前でしょ」
夏は3年以上付き合った弥生(有村架純さん)と別れた後、娘の海(泉谷星奈ちゃん)に会うため朱音の家を訪れ、海を抱きしめ「2人で暮らしたい」と決意を語る。それに対し、朱音は「当たり前でしょ。そうじゃないと困ります」と返すシーンが描かれた。
SNS上では、「大竹しのぶの『当たり前でしょ』に涙腺崩壊」「このセリフにグッときた」といった感動の声が多く上がる一方で、「朱音さんは娘の自己中心的な行動を謝る気がないのでは」「『当たり前でしょ』より『巻き込んですみません』が必要ではないか」といった批判的な意見も見られ、議論を呼んだ。
「さすが大竹しのぶ」という声も
大竹しのぶの演技に対して、多くの視聴者が感銘を受けた。特に「海のはじまり」第9話での「当たり前でしょ」の一言が印象的であり、彼女の圧倒的な演技力が光ったとの声が多い。
若い視聴者には、このセリフが強迫的に感じられたという意見もあるが、母親の立場から見ると、この言葉には感謝と激励が込められていると解釈する人も多かった。
朱音が夏に対して感謝とエールを送り、夏もそれを理解したからこそ、一礼したのだという意見もあった。
「ヒール」を演じられる役者
また、大竹しのぶのような「ヒール」を演じられる役者は日本の芸能界では貴重な存在であり、彼女の演技力は作品に大きな深みを与えているとの評価も多い。
朱音の表情が柔らかくなった瞬間に、視聴者はその内に秘めた感情を読み取ったという声も多く、彼女の演技が視聴者の心に深く響いたようだ。
「セリフ」を額面どおりに受けてはならない
近年、「台詞を言葉の通りにしか受け取れない」人が増加しているように感じる。倍速視聴やあらすじだけを把握して満足する風潮が広がっていることが原因かもしれない。
「切り取り」や「倍速視聴」では、間や表情に込められた台詞とは異なる感情や、言葉にされていない思いを、なかなか読み取れないものだ。
生方さんの作品は、読書に近いと感じている人もおり、特に客観視点で描かれるため、あたかも小説のように行間やリズムから解釈して楽しむことが求められている。
しかし、ドラマでは演者や演出が内面を表現しているにもかかわらず、それでも台詞そのままで解釈されることが増えている。これが日常会話にまで影響を及ぼしている可能性があり、より注意が必要だと感じているという意見である。
特に朱音の言葉は、一見「失礼」「無神経」「怖い」と感じる人も多いのだが、実はその奥深くに、本当の優しさが込められているのだと、私は思う。
大竹しのぶ、大女優のあかし
大竹しのぶさんの演技は圧巻であった。夏への感謝がないわけではないが、手放しで喜ぶわけにもいかない複雑な感情が、戸惑いと喜びの入り混じった表情として見事に表現されていた。声の抑揚や目線といった細かな演技で、その内面を伝えられる大竹しのぶさんは、まさに大女優であるといえる。
後でじっくり感がると、感慨深いセリフ
大竹しのぶのセリフは、真正面からとらえてはいけない。朱音も、真正面からぶつかってこないからだ。
ただ、これは大竹しのぶだからこそのセリフなわけで、もしかすると脚本のかなり初期の段階から、大竹しのぶという俳優を見越してセリフを書いていたのではないか、と思える。
昔の大竹しのぶの演技を知っている人はどれくらいいるか分からないが、明石家さんまと結婚するきっかけになった「男女7人夏物語」という話題になったドラマがある。大竹しのぶはあの頃と同じセリフの言い回しだし、海のはじまりの大竹しのぶを見ても、あの時と変わらないなと思った。大竹しのぶって、ちょっと面白い女優さんなのだ。彼女の代わりはいないだろうと思う。
朱音のセリフは、初めて聞くと怒りを覚えるが、後から思い返すと「うーん、そうかもね、なるほど」と思ったりもする。
ただひとつ、どうしても許せないセリフがあった。弥生に「あなた、子供産んだことないでしょう」というセリフだ。
弥生は面と向かってあんなことを言われ、どれほど悲しかったことだろうと思う。女性が女性に対して、産んだとか、産まないってことは言ってはいけないと思う。とてもデリケートな問題なので、誰も外には出さない、内的なことだからだ。
自分の娘が亡くなってすぐに、海の母親候補が現れて、朱音はさぞムカついていたことだろうと思うが、そこは大人なんだから、あんな嫌みを言わなくてもいいと思いました。
まあ、ここは私の独断で意見を言わせていただきました。女性は女性をいたわらないとね。だって、女性の喜びや悲しみを知るのは女性だけなのだから。