大阪府泉南市の教育長・冨森ゆみ子氏の経歴をどこよりも詳しく解説します。
巷では、冨森ゆみ子氏は「文科省生え抜きのエリートコース」を歩んでいると言われていますが、実情は違います。
さっそく解説していきましょう。
冨森ゆみ子氏の出身大学は「大阪教育大学」

冨森ゆみ子:昭和46年(1971年)7月14日生まれ。現在53歳(2024年2月現在)。
1994年3月 大阪教育大学 教育学部を卒業
同年4月 文部科学省 事務官として採用される。

事務官ってなーに?



文系の人はみんな事務官なのよ。ちなみに、理系の人は「技官」ね。



大阪教育大学って入るの難しいの?



大阪教育大学の偏差値は、 42.5~55.0 。普通に勉強すれば入れるわよ。
文科省は東大出身だらけ


省庁はどこもそうですが、出身大学は東大が圧倒的に多いです。
現在は、役人の激務が世間に知れ渡り、東大から省庁へ入る人は少なくなっていますが、文科省の場合、現在でも4人に一人が東京大学出身ですから、あいかわらずの「学閥主義」と言えましょう。
国立大学では、東京大学、京都大学、大阪大学、東北大学などが上位陣に並びます。
私立大学では、早稲田大学、慶応大学、中央大学がお決まりのトップ3となります。
ですが、出世コースは「出身大学」によっておおむね決まりますので、冨森ゆみ子氏は文科省に入省してからご苦労されたことでしょう。
新潟県の教育委員会へ出向


2010年、冨森ゆみ子氏は「新潟県燕市教育委員会教育次長」として新潟県に出向します。



教育次長って何?



教育委員会の委員長のお手伝い的なお仕事よ
中央官庁からは、地方へ出向することはよくあります。理由はいろいろです。
- もっといろいろ経験させたいから
- エリートコースの出世街道として
- 中央にいてもロクに仕事ができないから
兵庫県の斎藤知事の場合、3番目の理由で新潟県に出向させれたと、もっぱらの噂です。
冨森ゆみ子氏の場合、どのような理由で新潟県の燕市に出向したのかは分かりませんが、いずれにせよ1年半で任期を終えています。1年半では学校の実情に精通するには短いと言えますが、出向は1年から3年ほどで終了することが多いようです。
京都の小学校の教頭になる


2014年に、文科省が「学校現場の実情や課題を把握させ、今後の政策に生かしたい」という趣旨で、同省から校長、教頭として派遣すると発表しました。
この制度に応募したのが冨森ゆみ子氏で、彼女は4月から京都市立御所南小学校の教頭に着任しました。
冨森ゆみ子氏は3年間「小学校の教頭先生」だったわけですが、教頭の仕事は主に「実務全般」です。学校のあらゆることに精通しなければできない仕事ですし、子供たちの実情に正面から接することのできる、非常に重要な仕事です。
教頭という仕事を通じて、冨森ゆみ子氏は自身もかなり成長されたことと存じます(が、本当のところはどうだったのでしょうか)。
泉南市の教育長に就任




冨森ゆみ子氏は、51歳にして(ようやく)京都府泉南市の教育長に就任しました。
実は、地元の小中学校の校長が教育長に就任するケースが多いのが実情です。理由は、やはり地元の現状や実際の教育に携わる経験が豊富だということになりますね。
ですが、いきなり文科省から教育長に出向されると、実際教育委員会としては「非常に困る」事態になります。
何しろ文科省から出向してきた人は現状を知りませんし、教育に携わったこともありませんから、生徒や親の声を拾い上げることもできません。
日本の教育というのは、以下のような流れになっています。いわゆる「トップダウン方式」です。
「こうしなさい」「こう決まりました」と伝える
文科省の言うとおりに伝える
県教育委員会から言われたとおりに伝える
市の教育委員会から言われたとおりに伝える
校長から言われたことをやる
という流れになります。
市の教育委員会にとって、文科省は上の上の存在です。そんなところから出向してきた人間に、モノ申すことはできないのです。
つまりは、「怒らせないように、当たり障りなく、機嫌を損ねないように」冨森ゆみ子氏に接するしかないのが実情です。
「お客様扱い」されて当然と言わんばかりの冨森ゆみ子さんは、このような経歴を経て、記者会見に臨むこととなります。
冨森ゆみ子氏:経歴まとめ
- 文科省は東大出身が多い中、大阪教育大学出身。出世コースからは最初から外れていた。
- 新潟の教育委員会へ1年半出稿。
- 京都の小学校で教頭を3年間経験。
- 大阪府泉南市の教育長に就任し、現在に至る。(任期は2025年3月まで)