2024年10月27日の衆議院議員選挙で大躍進をはたした国民民主党。その代表「玉木雄一郎」が、「尊厳死」について踏み込んだ発言をしている。
日本では「タブー視」されてきたと言ってもよい「尊厳死」の問題。この問題は日本でもこれから大いに意見を述べ合い、検討しなければならない問題だろう。意見を出し合うことは良いことだ。
玉木氏の「尊厳死」発言は、大きな問題を秘めている。この記事では、なぜ玉木氏の尊厳死発言が炎上しているのかについて述べる。
医療費削減のために尊厳死を法制化する?
まず、玉木氏の「スピーチ」からお聞きいただきたい。聞かなくてもいいように、玉木氏の言葉を記載しておく。
「社会保障の保険料を下げるためにはですね、われわれは『高齢者医療』、特に『終末期医療』にも踏み込みました。『尊厳死の法制化』も含めて。
こういったことを含めて、医療給付を抑え、若い人の社会保険料(給付)を抑えることが、実は消費を活性化して、次のですね、好循環と賃金上昇を生み出すものと考えています。」
国民民主党の
— 🍛何食べ太 (@whatIvedone6080) October 30, 2024
タマキンこと玉木雄一郎代表、
若者の手取収入を上げるために
真っ先に、高齢者医療費や終末期医療費をやり玉に上げたり、尊厳死法制化を検討するって悪魔かよ。
pic.twitter.com/mdyu2W8J9m
この発言はどういうことかといろいろ考えたが(考えたと言っても、あまりに直接的な表現なので考えるまでもないが)、簡単に言えば
「高齢者は長生きすればするほど、医療費がかさんで若者が負担することになる。これから人生を生きていく若者が高齢者のわりを食うわけにはいかない。だから、高齢者、特に『終末期』を迎えた高齢者には、人生から退場していただくことを法制化します」
ということだろう。別に、乱暴な解釈ではないと思うが、いかがだろうか。
終末期医療とは?
「終末期医療」とは「ターミナルケア」とも呼ばれます。病気や高齢化などで、「あとわずかしか生きられない」状態の人に対して行われる医療や看護のことだ。
昔は、がんや認知症、エイズなどの患者が中心でしたが、今は疾患の種類を問わず実施されている。
どんなことをするかと言うと、精神面では「安心して、平和な気持ちで人生の最後を迎えられるよう」にサポートしてあげたり、身体面では痛みを軽減する薬を投与したり、口からものを食べられない人に「胃ろう」をしたり、チューブで鼻から栄養を入れたりする、などを指す。(他にもいろいろなケースがある。)
玉木さんが言うのは「高齢者に対する終末期医療」のこと。現在も、介護の段階になったときに家族が医者や介護施設と話し合うことになっている。
我が家も10年以上介護を続けてきた義母が緊急入院し、「もう長くないだろう」と医師が判断したとき、「自分で呼吸できなくなったらどうするか」を聞かれた。
つまり、チューブで酸素を無理矢理入れて少しでも長く生きてもらいますか?ということを問われることになる。うちは、主人も私も「自分だったら死ぬまでチューブでつながれるのは嫌だ」と思っていたので、義母の場合も、その場合は何も処置せず自然に任せてくださいとお願いした。
また、口から食事が摂れなくなったら「胃ろう」という手もあるのだが、これもお断りした。胃ろうをすると、本人はたとえ寝たきりで何も分からなくなっても、とにかく栄養は摂れるのでずっと「生きている」状態にはなる(が、それが何年続くかわからない)。
上記のようなことは、「本人の意志」が最初にくる。うちの場合は、義母が認知症で何も分からない状態だったので、本人の代わりに家族が処置を伝えた。
ただ、家族によっては「どんな状態でも生きていてほしい」と願う場合も多いものだ。それは、その人の考え方次第なので、どちらが正しいとか間違っているとか、そういうことではない。
ですが、玉木代表が言う「尊厳死の法制化」が実現するとなると、本人や家族の意志には関係なく、「余命いくばくもなくなった老人」は、延命処置を取らないということになるのだろう。
「尊厳死」と「医療費」を一緒に考えるのは間違いでは?
「尊厳死」という言葉はなかなか耳慣れないが、「安楽死」と聞けばピンとくる人も多いだろう。
安楽死は2001年、オランダが国レベルでは世界で初めて合法化。 以降、ベルギーやルクセンブルク、カナダ、コロンビア、スペイン、ニュージーランドなどでも認められ、近年合法化する国が増加している。
なかでもスペインは元来自殺をタブー視するキリスト教カトリック信仰が強かった国でしたが、2021年に安楽死を合法化した。
だが、それらの国は決して「高齢者の医療が増大して国民全体の医療費がひっ迫しているから」尊厳死を合法化したわけではない。
あくまでも「人が生きるとは何か」「本人の一生は本人が決める」、だからと言って、誰でも安楽死できるわけでは毛頭なく、「医者から余命いくばくないことが宣言されている」「耐え難い痛みから逃れたい」などの、本人の意志が強い場合のみ、厳正な審査の結果行われるものだ。
日本では「死生観」が定まっていないため、安楽死や尊厳死を「自殺」とはき違えてしまう人が多いのが実情だ。まだまだ議論されていない問題だが、難しすぎる問題なので、私も容易に答えは導き出せない。
玉木代表が言う「尊厳死の法制化」は、「人間の一生とは何か」「本人の命は本人に決められるのか」などという「命の根源」について深く探求し、答えを出したものではない。
ただ単に「医療費がひっ迫しているから、終末期医療は削減して、その分若者が負担する額を減らしてあげましょうね」という非常に短絡的な意見・結論になっている。
それが問題なのだ。医療費の削減と、尊厳死の法制化を一緒に語ってはならない。
長生きするのは悪いこと?
人生80年と言われて久しいが、実際は80歳どころか、90歳になっても100歳になっても元気な毎日を送っている人は大勢いる。
人は誰でも「認知症になりたくない」「健康で長生きしたい」「寝たきり老人にはなりたくない」「老人ホームには入りたくない」などと、自分が老人になったら、あるいはその前から考えるものである。
確かに、ベッドにつながれたまま、鼻からチューブを入れられたり、胃ろう(胃からチューブで直接栄養を入れる)を施されたりして、本人は意志があるのかないのか分からない状態でずっと寝たきりならば、生きている意味はどれほどあるのだろう、と考えてしまう。
だが、それでも「生きていてほしい」と思う家族も多いのは確かだ。
あなたはどうだろうか?あなたの両親が「もう長くない」と分かったとき、「じゃあ、いいです」とあっさり「さようなら」できるかどうか。
家族で話し合って「チューブにつながれて生かされるのはかわいそうだよね」という結論が出たとしても、それで気分がすっきりするわけでもない。心の中に大きな葛藤が生まれるだろうし、はたしてこれでよかったのか、自分の選択は正しかったのか、本人が話せたらなんというだろうな、そんなことを考えながら悶々とするはずだ。
それが家族だし、それが人間だ。
その「悩む」部分を飛ばして、法律で一律に決めるとするのであれば、「命よりも金が大事」だと国が考えていることになる。
玉木代表の「終末期医療にも、尊厳死の法制化を含めて踏み込む」発言には、恐ろしいものを感じる。玉木代表は、自分の親にも「法律」を当てはめて天国に行ってもらう覚悟はあるのだろうか。
玉木代表の「尊厳死」発言は、成田悠輔氏の発言と共通している
2021年12月に、「ABEMA Prime」という番組で、イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏の「高齢者は集団自決すれば良い」という発言が批判を浴びたことを覚えている人も多いだろう。
それまでも、成田氏はさまざまなメディアや講演などで、高齢化社会への対応策として高齢者の「集団自決」「集団切腹」を繰り返し主張してきた。
「僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと……」
その具体的な方法のひとつとして成田氏が挙げているのが「尊厳死」だ。
「安楽死の解禁とか、将来的にあり得る話としては安楽死の強制みたいな話も議論に出てくると思う」
どうだろう。玉木代表の発言に酷似しているのではないだろうか。
私としては「え?そんな乱暴な」と驚くばかりだが、実はこの発言に共感する意見もあることはあるのだ。このように、世の中は二分化していくのだろしたら、恐ろしいことだ。十分に議論しつくされないで世の中が分断されることだけは避けなければならない。どちらのためにもならないからだ。残るのは「怒り」「恨み」だけだからだ。
「尊厳死」を扱う映画2作
尊厳死を扱う映画は、私の知る限り3つある。(本当はもっとあるのだが、記憶に強く残っている3作品を紹介する)
PLAN 75
ひとつは、最近(2022年)に公開された「PLAN 75」である。
映画のストーリはこういうものだ。
75歳以上が自らの生死を選択できる<プラン75>が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる。当事者である高齢者はこの制度をどう受けとめるのか?若い世代は?
「プラン75」は、「生きる」という究極のテーマを全世代に問いかける衝撃作となった。他人事ではない。自分の親のことであり、ひいては自分のことである。
少子高齢化が進んだ現代の日本で、このような法制度が整う日がくるのだろうか?
「まさか、これは単なる絵空事」
「こんな法律ができたら大問題だ」
と思う人がいる一方、
「うん、こういう法制度も必要かもね」
「確かに、このままだと日本は高齢者だらけになり、若者が希望を持てなくなる」
と考える人もいるだろう。
見ていない人は、U-NEXTで見放題で配信しているので、ぜひ視聴をお勧めする。最初の一か月は、たしか無料で見られる。
ソイレント・グリーン
1973年のアメリカ映画。この映画は、2022年の世界を想像して作られている。映画が制作された時から50年後の世界だ。サスペンス映画のくくりになっているが、今見るとリアルすぎてとてもSFとは思えない。この時代に、すでに高齢化社会の息つく先を予想していたのだろうか。
2022年ニューヨーク。人口増加と環境汚染により食糧問題は深刻を極めていた。同年、合成食品ソイレント・グリーンを発表したソイレント社の社長が自宅で殺害される。殺人課のソーンが捜査に乗り出すが、その背後には政府の陰謀が渦巻いていた…。
映画はいわゆる「ディストピア」を描いている。ディストピアは、ユートピアの反対語と言えば分かりやすいだろう。それが2022年だ。すでに過ぎた時代だが、これからの世界に起こりうる恐ろしい現状を描いている。
こちらの作品もU-NEXTでご覧いただける。古い映画だが、古さを感じさせないどころか、リアルすぎて戦慄すら覚える。
私は友達に誘われて高校生の頃にこの映画を見たが、恐ろしすぎていまだに忘れることはできない。ネタバレになるので何も書けないが、誘ってくれた友達は、ベートーベンの交響曲「田園」を聞けなくなってしまった。
破裂 (NHKドラマ)
ドラマを作らせたらNHKの右に出る者はいないと思っているのだが、この「破裂」というドラマも秀作だ。
椎名桔平、滝藤賢一という演技派俳優二人をダブル主演(と言ってもいいだろう)として抜擢したこのドラマ。面白くないはずがない。
老化した心臓を若返らせる「夢の治療法」で医学史に名を残そうと野望を抱く心臓外科医・香村(かむら)(椎名桔平)。研究の実用化のためなら手段を選ばない冷徹なエリートだ。だがその療法には香村もまだ気付いていない副作用が潜んでいた・・・。
「国民生活省のマキャベリ」と呼ばれる稀代の策士・佐久間(滝藤賢一)。「来るべき超高齢化社会を前に無為無策でいたら、この国は滅びます・・・老人がぽっくり逝きたいと願っているか知っていますか?」――佐久間は香村に巧妙に近づき、「夢の治療法」を乗っ取ろうと陰謀をめぐらす。
その療法の被験者第一号となるのは、心不全で引退状態にあった国民的名優・倉木(仲代達矢)。実は香村は倉木の隠し子だった。人は、人生の最期に何を望み、何を見出すのか――?
(NHKアーカイブスから文章をお借りしました)
人間、誰しも長生きしたいと望むが、死ぬまで現役が望みである。「ピンピンコロリ」は理想的な生き方であり、死に方である。
このドラマでは、一人の医師、一人の官僚により「ピンピンコロリ」運動が全国的に広まるが、それが吉とでるか凶とでるか…
人間は、死ぬときに何を望むか。生きているときに何をするか、できることは何か?そんなことを考えさせられる、深いドラマである。
このドラマは「NHKオンデマンド」に加入すれば見られるし、U-NEXTでも有料で見られる。だが、NHKオンデマンドは「見放題で月額980円」なのに対し、U-NEXTでは一話ごとに220円取られる(全7話)。NHKオンデマンドで見たほうが経済的だ。(悔しいけれど、私はNHKの回し者ではありません)
国民民主党代表 玉木氏の「尊厳死」発言:まとめ
総選挙直後のテレビ出演で、口をすべらせたの意図的にか分からないが、玉木氏の口から「尊厳死の法制化」という驚くべき言葉が飛び出した。(おそらく、意図的に発言したのだろう。国民の反応を知りたかったため)
玉木氏の「尊厳死の法制化」は、人間の命を深く掘り下げた考えから来ているものではなく、「医療費が膨らんでどうしようもない」ことへの解決の方法として取り上げられている。
「尊厳死」については、日本ではまだろくに議論がされていない。法制化に踏み込むもっと前に、全国民を巻き込んで考えなければならない問題だ。議論を出し尽くしたどころか、議論がまるで出ていないのが今の現状だ。
玉木氏と成田悠輔氏の「尊厳死」に対する考え方は似ている。この二人の考え方を擁護する人も少なくはない。もちろん、批判も多い。
尊厳死を扱った映画をふ3つ挙げた。2022年に日本で制作された「PLAN75」と、1972年にアメリカで制作された「ソイレント・グリーン」だ。3つめはNHKのドラマ「破裂」。どの作品も「自分に関係ないストーリー」として見ることができないのが恐ろしいところだ。自分のこととしては元より、家族(親や子ども、配偶者や兄弟)に当てはめて考えると、より恐ろしさが増す。