【プロフェッショナル】世界から依頼が殺到する靴修理人:村上塁 

当ページのリンクには広告が含まれています。
スポンサーリンク

世界中から依頼が来る靴修理職人がいる。名前は村上塁。その店は依頼が絶えることはない。

スポンサーリンク
目次

靴修理職人:村上塁の日常

今でこそ、「依頼の絶えない靴修理店」として日本、いや、世界的に有名な村上塁さんだが、ここに至るまで紆余曲折があった。

村上さんの店と日常

村上さんは、築41年のアパートに一人暮らしである。仕事が中心の生活で、趣味はなく、衣食住にこだわりはない。

店は13年前、先代が亡くなったあと、修理店として村上が継いだ。商店街にある彼の店は、夜遅くまで明かりが途絶えることはない。

依頼は全国から、年間1000足以上に上る。納期は約半年後。倉庫のほうに150足ぐらい修理を待っている靴たちがある。

ある銀行員からの修理依頼

40代銀行員が依頼してきた靴。毎日歩き続けて靴底は減り、かかとの部分にも穴があいている。

やかんを火にかける村上。沸騰したお湯を容器に入れる。ジュッという音。松やにを混ぜて、天然の接着剤を作るためだ。

修理用の糸に、作った松やにを塗り込んでいく。糸から作る修理職人は、きわめて珍しい。

まずは靴を分解し、中の状態を確認する。かかとの部分には、過去の修理で2枚の革が加えられていた。オリジナルの革を傷つけないよう、重ねられた革をはがしていく。

革の下から、ステッチを用いたオリジナルのデザインが現れた。

耐久性にすぐれたカンガルーの革で、オリジナルと同じ色に染めてステッチを復元する。そして、靴の基礎をなす中底の交換にとりかかる。

あえて「手縫い」にこだわる

松やにを塗り込んだ糸を交差させ、一気に引き抜く。このときに目に針が当たって失明する人もいるので、気を付けなければならない。松やにを使うことで、靴の強度が増す。

わずかな職人しか使うことのできない、「すくい縫い」という技法だ。

今では機械を使って縫うのが主流になっているのだが、村上はあえて手縫いにこだわる。長年履いてきて革に「うねり」や「くせ」が生まれてくる。長年履いてくることにより、その人に靴がなじんでいる証拠だ。

スポンサーリンク

靴の先にいるお客さんを想像しながら修理する

靴の革が伸び縮みしていると同時に、最初の針の穴も均一ではなくなっている。村上はその穴に忠実に、一本一本針を通しているのだ。機械ではなすことのできない技だ。

「靴としては靴を見ていない。というか、その先のお客さんのことを思い浮かべています。」

作業を始めて5日。修理が完了した。

15年以上、ともに大事な商談に臨んできたという、この靴。ただの靴ではない。この人の分身なのだ。一緒に苦楽を共にしてきた仲間だ。

靴の先に依頼人の人生がある。村上さんはそう思いながら修理を続けているのだ。

他店で断れた修理も引き受ける

他店で断れた修理も、すすんで引き受ける村上さんのお店。

女性のお客さんが修理の依頼をしてきた。

「最後、もうここでダメなら、気に入っているけれど捨てようと思っています。」

村上さんは女性の靴のヒールを取り替える。

できあがった靴はこちら。見違えるようだ。

「全然印象が変わってない!」「帰ってきた!お気に入りの靴が。」

女性は仕上がりを喜んでくれた。村上さんの心が一番ホッとする時だろう。

採算度外視でそろえる靴の素材たち

村上さんは、どんな靴の種類にも対応できるよう、靴底や染料など、問屋を上回る数をそろえている。

さらに、無い素材は町工場を探し、作ってもらっている。数年に一度しか使わないような材料も、採算度外視で制作した。

村上は、どんなに忙しくても、靴の修理を依頼してきたお客さんとは一時間くらいしゃべって情報を引き出す。その人がその靴のどんなところにほれ込んでいるのか。耐久性か?ファッション性か?機能性か?

それらを引き出すことができるのは、お客さんとしゃべり始めてから20分くらいからだと言う。

靴の色を変えてほしいという依頼

この日、「オレンジっぽい色からダークブラウンに変えてほしい」という珍しい依頼があった。

依頼主は4年前から店に通う常連の男性。染め替えの金額は4万を超えてくる。

「当時買った金額より修理代のほうが高くなっている可能性があるので、このお客さんにとっては思い入れがあるのかもしれませんね。」

自ら開発した109種類のオリジナル染料を使いながら、革の密度を考慮して、少しずつ染め上げていく。

色ムラを確認しては色を重ねる地道な作業を続けて、5時間半。さらに3時間かけ、均一なダークブラウンへと染め上げた。

お客さんから色染めで再度の注文が

ダークブラウンに染め上げた男性靴。ところが、事態は納品後に思わぬ方向へ。

お客さんに納品した後、二日後に「もう少し赤身のある、薄めのブラウンにしてほしい」とお客さんが靴を持ってきた。

「もう一回、色を落とせるところまで落としてやります。逆に、かっこよくなるかもしれないですね。こういうのはね、お客さんから教えてもらう技術なんですよね。」

教えてもらう」とは村上さんの心からの言葉である。

磨き続けて、5時間。色を最大限にまで落とした。色を抜いた革を、再び染めていく。

「どんなに染める技術が高かろうが、お客さんが満足しなければ、そんな高い技術なんて無いのに等しいんで。」

「プライドなんかないんで。すべてはお客さんが満足するかどうかだけなので。」

二度目の引き渡しの日。「昨日は(朝の)4時までやっていました。」

今回は、お客さんも見た瞬間満足してくれた。

スポンサーリンク

包丁を研ぐ毎日

毎朝、村上さんは1時間かけ、6本の革包丁を研ぎそろえる。

「ボクは安心感というものがないんですよね。もし包丁が研げてなかったらどうしようと、不安になっちゃうんですよね。」

「ボクは口が裂けても気軽に職人という言葉を言えない」

真の職人とは何か

村上さんにとって、職人とは何か? 挫折の繰り返し

村上さんは、大学受験に3回失敗した。やっと入った大学も、2年で中退した。

きっかけは、テレビで観た靴職人の番組だった。靴を手で作れるのをそれまで知らなかった村上さんは、「手で何かを作れるのがいいな」と思った。

24歳で専門学校に入学した村上さんは、教官から一人の職人を紹介された。

店の先代、佐藤正利(まさとし)さん。吉田茂元首相や、石原裕次郎さんの靴を作り、「靴の神様」と言われた職人だった。

佐藤さんは、どんな難しい依頼も決して断らなかった。

「できるのかな、できないのかな。仕事は受けてから死ぬほど悩む」と言ってました。「かっこいいな、この人。と思いました。」

村上さんは専門学校を辞め、佐藤さんの元で靴づくりの技術を学んだ。

「自分が、ひとつできるようになった」「自分が、ステップアップした」

当時の村上さんいわく、「自分が悦に入っているような感じでしたね」。

浅草の靴工房で体験した厳しい現実

2年後、浅草の靴工房に就職した村上さんを待っていたのは、厳しい現実だった。

安く大量に生産できる靴がますます主流になり、手仕事で作る靴は激減していった。

「ひと月の給料が3万とかでしたからね。ちゃんとした方に教われば、ある程度は生活できるって勘違いしていましたね。」

ある日、佐藤さんが亡くなったという報せが届いた。村上さんがお線香をあげにいくと、家族は店を閉めるつもりだと言った。

村上さんは、もう一人の友人とともに、店を継ぐことにした。だが、そううまくはいかなかった。

「甘く考えていたんですよね。先代のお客さんもついてくれるかもしれないと。」

月の売り上げは2万円。友人は1か月で店を去った。

靴の修理はやりたくなかった

ある日、女性が訪ねてきた。靴のヒールを直してほしいと言う。

「こういう仕事はやりたくなかったんですよ。なんでほかの人が作った靴を俺が直さなきゃいけないの。先代から学んだ技術で食べていきたい。」

ただ、その女性の靴を見て村上さんは呆然とした。村上さんが学んできたのは男性用の靴だった。女性用のヒールはこれまで見たことがなかったもの。外し方すら分からなかった。

ほかの店に頼んでくださいと女性に言ったが、それでも女性はお礼を言ってくれた。

村上さんは顔を上げることができなかった。

先代の佐藤さんから自分は何を学んだのか。佐藤さんは、プライドなど捨てて、自分が生き残るために懸命に仕事をしていた。

自分が生き残れるのであれば、修理に全力で向き合おうと、村上さんは思った。

村上さんは、靴の修理を看板にかかげ、どんな依頼でも受けようと心に決めた。

半端な自分を認め、依頼主の求めに応えることだけに、全力を注いだ。

その日々が13年続いた。村上さんのもとには、修理の依頼が殺到するようになった。

左手も自在に使えるように、左手でごはんを食べ、毎朝包丁を研ぐ。いつか、「職人」と呼んでもらえるように。

かつてない依頼が舞い込んだ

村上さんのところに新たな依頼が舞い込んできた。

良質な革で仕立てられた女性ものブーツ。

お母さんが、自分のブーツを修理して、娘に贈りたいという。お母さんの足は25.5センチ。娘さんは23センチ。

2.5 cm靴を縮小させるところが、一番難しい部分だ。

依頼してきたお母さんは、病気で、残り一年の余命宣告を受けている。自分の大事にしている靴、どうしても捨てられない靴だった。靴が大好きなお母さんは、20年前にこの靴に一目ぼれし、以来、大切な節目にこの靴を履いてきたという。

靴を2.5 cm縮小させる、大修理が始まった。

分解した革を、23.5 cmの木型に合わせて、仮止めする。

仮止めした靴を、次の日娘さんに履いてみてもらった。

娘さんの口調や表情から、村上さんはブーツのたるみが気になっているのではないかと悟った。はたして、娘さんも同じことを感じていたのだった。

娘さんの脚にもっとも合うよう、革を切るラインを決める作業が始まった。革についたクセやシワを読み、裁断する線を決めることは、きわめて難しい。一度革を切ってしまえば、戻すことはできない。

長く履いてもらえるようにと、ギリギリまで突き詰めたラインを、包丁で切っていく。息をつめて、集中して裁断していく。

「この先にいるお母様の想いが一番大事なんですよね。お母様の中で、『この靴は最高だな』っていう一足だったんですよね。」

たとえ自分がいなくても、娘が強く立てるようにという、母の願い。

経験のない大修理になったが、修理は成功した。

ブーツには、お母様が履いた証のシワも残っている。

出来上がったブーツを、さっそく届ける。

「何年も履けるかしら?」

「2,30年は履けると思いますよ。」

ベッドに寝ているお母様も、「きれい、かわいい、おしゃれ」と大満足。持ち上げるのも大変だったろうに、ベッドから腕を持ち上げて、村上さんの作ってくれたブーツを愛おしく触った。

その5日後、お母様は天国へ旅立たれました。

「あと5日遅かったら、お母様にはお渡しすることはできなかった。本当に間に合ってよかった。」と村上さん。

プロフェッショナルとは

村上さんにとって、プロフェッショナルとは…

「心が折れかけても、また前を向いて、生き残るための手段をずっと考え続けられる人、ですかね。

そうすればたぶん、最後に、まわりからプロフェッショナルという言葉をかけてもらえる。」

村上さんのお店:

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次