映画「生きちゃった」感想:言葉の難しさと、男女の愛と、暴力と、大島優子

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映画「生きちゃった」を観た直後に感想を書こうとしたのだが、まったく書くことができなかった。なぜだろう。言葉が出てこなかったし、自分自身もどのような感想を持っているのか、皆目見当がつかなかった。

だが、映画を視聴してから1時間、2時間経ち、ようやく自分の中で映画の内容を咀嚼(そしゃく)できるようになった。この映画は、そういう映画だ。

こうしてようやく「生きちゃった」の感想を書ける気持ちになってきた。自分の中で熟成した感じだ。ネタバレ無しなので、安心して読んだください。(ネタバレありのほうが喜ばれるのかな、よくわからないが)

とにかく、この映画は観たあとしばらくしてから「じわじわ」来ます。

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目次

男と女では、たぶん感想が違うと思う

映画を観た直後でも、時間が絶ってからでも、変わらない気持ちがある。それは「奈津美」(大島優子)がただただ「かわいそう」だということ。

このドラマは刑事ものではないが、一番の被害者がいるとしたら、それは奈津美である。

ところで、私は最近、男と女では映画でもドラマでも見方が違うのだと実感している。考えてみれば当たり前なのだが、「この映画はこうだよね」と私が思っていることが、誰もが思っていることではないのだ。

突然だが、「海のはじまり」というドラマがある。ただいま絶賛上映中だ。ドラマの放映直後から「考察系」You Tuberが考察を始める。ガルちゃん(ガールズちゃんねる)ではリアルタイムで実況している。

考察系のYou Tuberは男性で、ガルちゃんで実況している人はほぼ女性(たまに男性が紛れ込んでいるようだが、すぐに察知されて通報されるか無視されるかディスられる)。

同じドラマを観ていても、男性と女性はこうも感じ方が違うものかと、あっけにとられるほどだ。私は女性なので男性の気持ちが分からず、「え?そこ?」といつも驚く。男性は目のつけどころから違うので、なかなか面白いし、突っ込みどころ満載でもある。

なので、「生きちゃった」もまさに、男性と女性では感想が全く違うのではないかと思う。男女入り混じっての「感想大会」を行ったらなかなか面白いだろうし、もしかしたら喧々諤々(けんけんがくがく)の大論争にまで発展するかもしれない。あるいは、お互いに話しても無駄だと思い、すぐに解散するかもしれない。

いや、「話しても無駄だ」は絶対によくない。なぜなら、「生きちゃった」では、「話さなかったこと」が家族の悲劇を生むことになったからだ。

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ひたすらかわいそうな「奈津美」

私のボキャブラリーが貧困なのが分かってしまうが、奈津美を表すのに「かわいそう」という言葉しか浮かんでこない。困ったものだ。

男の言葉が足りなかったばかりに、奈津美と男たちはどんどんすれ違っていく。「話さなくてもわかる」は大間違いだ。話さなくても分かるって思ってる人は、テレパシーでも送ってるんだろうか。

奈津美はどちらかと言うと、言って発散したいタイプだし、すぐに行動するタイプ。まわりの男性たちとは全然違う。タイプが違うもの同士って、意外と相性がいいんじゃないかって思うけど、自分の気持ちをちゃんと伝えられない男性とはうまくいかない。それは誰でもそうだ。

歯車がかみ合うとか、かみ合わないとかではなくて、そもそも歯車がない。しゃべらないということは、そういうことだ。

気持ちが伝わらないから、誤解が誤解を呼ぶ。しなくてもいいことまでしてしまうし、考えなくてもいいことを考えてしまう。そして悪いことに、その考えは往々にして間違った方向へ行ってしまう。

一度間違うと、次も間違う。人生は分かれ道の連続だけれど、言葉が通じていないので、いつも間違った道を選択してしまう。そして、最後は袋小路。行き止まりだ。奈津美も袋小路に迷い込んでしまった。

これは誰のせいだろう?普通は「誰も悪くないよ」って言うストーリーだけど、この映画だけは違う。男が悪い。

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日本の男は黙っているのが美徳なの?

「男は黙ってサッポロビール」っていうコマーシャルが昔あったけど、あれは言い得て妙だ。

特に日本の男は「黙っているのがいい男」だと、勘違いしているのではないだろうか。もちろん、くだらないことをしゃべりすぎても良くないけれど、だからといって、最低限のことは言葉にしてほしいと、女はいつも思っている。

しゃべるのが苦手なら、態度で示してほしいが、何もせずに座ったり寝たりテレビやスマホを見ているだけじゃ、本当の気持ちなんてわかるはずがない。

気持ちが分からないと、生活に困るし、人生にも困る。

しゃべらないのは、「悪」だった。この映画の場合。でも、これって普通の男と女の話なのかもしれないなって思ったりもする。

「生きちゃった」は、普通の男と女の「ちょっと極端な例」だけれど、この映画に出てくるいろいろな場面は、実は「どこの家庭にもある普通のこと」なのかもしれない。

「あの時ちゃんと話しておけばこんなことにはならなかった」ってことは、よくある話だ。だいたい、男がしゃべらないとこういうことになる。

「あの時」はもう来ない。過ぎ去ったものは帰ってこない。過ぎ去った人も帰ってこない。これは悲劇だ。

女も女で、女が話すときは感情が先に立つから、いくらべらべらしゃべっても、「君の言うことは全然分からない」と言われたりもする。

だから、もうちょっと話そうよ、男たち。黙っていては伝わらない。「言語化」って言うけれど、男は言語化がすごく苦手だ。(よく会社やってるなと女は思ったりする)

まあ、世の中を動かしている政治家の言っていることを聞けば、確かに言語化は苦手なのだろう。(よく政治家やってるな)

この映画で言いたいことって、究極的にはそういうことなんじゃないかな。「言語化しましょう」ってこと。

うまくしゃべれなくてもいい。気持ちって、うまく伝えるのはすごく難しいし、自分で自分の気持ちが分からないときもある。だから、「とつとつ」でいい。しゃべるのが苦手な人って、根っこはいい人なんだと思うよ。

しゃべりすぎる人、例えばホストみたいな?人は、逆に信用できない。(ホストが信用できないって言ってるわけじゃない、あの人たちは仕事でしゃべってるだけだから)

言葉って難しいよね。しゃべりすぎてもウザいし、しゃべらなくても人を不幸のどん底に落とす。奈津美が落とされたみたいにね。

こう考えてみると、奈津美は女の代表だ。奈津美を演じた大島優子は素晴らしい。まさに身を投げ出してがんばってくれた。感謝したい。

映画「生きちゃった」は、どこかで演技派の俳優さんが「好きな映画」の筆頭に挙げていたので、観てみたわけです。その俳優さんを信じてよかった。この映画を観て本当によかった。ずっと心に残る映画になるだろう。

エンタメではない映画。だからと言って、説教くさくもない映画。監督が「これを感じてくれ」とこれ見よがしに私たちに何かを投げかけていない映画。

そういう映画は、いいよね。

大島優子の出る映画やドラマは、たいてい面白い。彼女の存在感が大きすぎるのかもしれないね。

ということで、大島優子の出る映画「紙の月」もたいそう面白いので観てください。大島優子のセリフひとつひとつにグサっときますよ。(あと、池松壮亮も素晴らしい)

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