【地獄が呼んでいる】シーズン1の感想:クリーチャーと新興宗教

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2024年秋、Netflixドラマ「地獄が呼んでいる」シーズン2配信されたと同時に全国的に話題になっている。私はシーズン1も観ていないので、私のように「シーズン2」を観る前に、シーズン1は面白かったのかどうか知りたい人もいるだろう。

この記事では、ネタバレ無しで「地獄が呼んでいる」シーズン1の感想を述べる。

結論から言うと、物語の最初は荒唐無稽に感じるが、全体として人間の真理をついており、非常に引き込まれる。私はホラー映画が嫌いだが(怖いから)、この映画の怖さはホラーというよりも、人間の怖さである。非常に面白い作品なので、高評価も納得できた。もちろんシーズン2もこれから観る。

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目次

「クリーチャー」と呼ばれる化け物が3体

「地獄が呼んでいる」は韓国ドラマで全6話。「ホラー映画」のジャンルになるのだろうか。私自身はホラー映画のファンではないが、SFでもないし、もちろんヒューマンドラマでもない。

「地獄が呼んでいる」はどんなドラマ?

ある日突然、なんの予告も無く出現する地獄の使者たち(天使とも呼ばれる)。「お前は3日後の9時に地獄へ行く」などと宣言される。その時刻に化け物(クリーチャー)が現れ、無残な殺され方をする。新興宗教の新真理会が絡んで、超常現象と人間の恐ろしさが合体し、人々を洗脳し、恐怖の世界に陥れる物語。

この話に出てくる「化け物」は、巨大なドンキーコングというか、ゴリラというか、輪郭がボヤっとしている化け物である。しかも3体。それらが突然出てきて、ターゲットを襲い、最後は高熱で焼き尽くす。仕事が終わったらさっさと帰っていくのだが、突如として消える(別次元へ吸い込まれる)ので、これは人が操作できるものではないと分かる。

韓国モノ「ホラー」の特徴

日本のホラーだと「貞子」「呪怨」のように、「霊的」な怖さで攻めてくるのが常套手段だ。どこから出てくるのか分からない不気味さがあり、視聴者をゾクゾクさせる(怖い意味で)。

だが、韓国のホラーは「ゾンビ」「クリーチャー」が多い。「新感染」でも多数のゾンビが出現し、結局あれはゾンビものだった。しかも、通常のゾンビは怖くても動作がゆっくりなのでなんとか逃げる余地はあるが、韓国のゾンビは大量にすごい勢いで追いかけてくるので、「卑怯」である。ゾンビの動作が速かったら人間は太刀打ちできないからだ。

「地獄が呼んでいる」の化け物たちも、「地獄」とか「あの世」とか「贖罪」などと言っているわりには「霊」の存在は微塵も感じさせず、ただの化け物にしか見えない。

なので、観ている側は「化け物」の怖さは感じるが、日本のホラーのようなゾクゾクとした怖さは感じない。そういう意味では「またあの化け物が出てくるな」とわかるので、怖さは日本のほうに軍配があがる。

化け物が殺しに来る前に「天使」が下りてきて「地獄へ行く日」を告げるのだが、どう見ても「天使」とは思えない。いったい天使とはなんだろうか?私の考える天使(おそらく多くの日本人も同じ)は、こういう姿をしている。

だが、ドラマの中の天使はこういう姿だ。(怖っ)これって、天使というより悪魔じゃないですか?

韓国って不思議な国で、ナイフのような凶器はぼかしが入ったりするのに、このドラマは凄惨なシーンがこれでもかと出てくる。もしかして、このドラマは「子どもが観てはいけない」ドラマに指定されているのかもしれない(真偽のほどは定かではない)。

観ている側も「慣れ」があるので、最初はむごいと思っていた焼死体も、何回も観ているとただの「炭化した遺体」として淡々と観るようになるのだ。慣れって恐ろしい。

刑事ドラマを観ていると、初めて殺人現場に到着した若い刑事が、離れた場所でゲーゲー吐いたりするが、そのうちに遺体を見ても何とも思わず、平気になっていく。それと同じようなものかもしれない(ちょっと違うかも)。

「新真理会」という新興宗教

新真理会のメンバーたち

化け物は「超自然現象」的なものなので、人間が作ったものではない。どちらかと言うと、人間が作ってものであってほしかったとは思う。人間が作ったものならば、退治する方法が見つかるという期待がある。だが、超自然な化け物は、人間の力の及ばないところにあるので、いかんともしがたい。だから、化け物を見るたびに無力感に襲われる。

この「超自然」的な化け物をうまく活用したのが、新興宗教の「新真理会」である。「新興宗教」と聞いて思い浮かぶワードは「怪しい」「危ない」「怖い」「洗脳」「金をとられる」「脱会できない」などの、ネガティブキーワードばかりだ。

「新真理会」は、「悪いことをすると化け物に襲われて、地獄に連れていかれますよ」「それこそ神の教え」と説いて、人々を恐怖で支配しようとする。

地獄に連れて行かれるのは「罪人」と決まっているので、地獄に連れていかれた家族は「罪人の家族」として、軽蔑され、ののしられる人生となる。決して「被告の家族」とはみなされないのだ。

「真理会」と「オウム真理教」

これを「くだらない」とひと言で片づけることは到底できない。日本にもかつて「オウム真理教」という悪の権化のような新興宗教が存在し、多数の人を殺害し、洗脳し、サリンをばらまき、それらの行為は皆、「天国に行くことで幸せになる」という意味の「ポア」というひと言で片づけられてしまったからである。

オウム真理教の教祖・麻原彰晃(当時)

オウム真理教に洗脳されたのは若者が多かったが、東大のような「頭のいい」と言われる若者たちも、多数入信していたのが特徴だ。

「洗脳」というのは「頭が悪い」から洗脳されるわけではない。誰にでもある、心の弱さ、心の空きにつけこんでくるのが新興宗教であり、彼らの得意とする「洗脳」である。

「地獄が呼んでいる」も同じように洗脳された人々が、化け物に殺されることを恐れて日々暮らしている。何が幸せなのか、もうその段階では分からなくなっている。

一度でも洗脳されると、なかなかその考え方から抜け出すことができない。そして、洗脳された人が多数を占めるようになると、それが「正義」となる。正義とは多数決なのだと、このドラマを観て思い知らされる。

「ウォーキングデッド」との共通点

あなたは、「ウォーキングデッド」を観たことがあるだろうか。アメリカの超人気「ゾンビ」ドラマだ。あまりにも人気で、先ほどWikipediaで調べたところ、「volume 21-」と書いてあったので、最低でもシーズン21までは制作されているはずだ(長すぎる)。

ウォーキングデッド

私もある程度観たが、途中で飽きてやめてしまった。私のような人間も多いのではないだろうか。

さて、そんなウォーキングデッドだが、もちろん最初は「ゾンビ」が怖くて仕方がない。地球の人々(主にアメリカ人だが)はゾンビから逃げるために策を練る。ゾンビを殺すためにどうしたらいいか考え、ゾンビから生き延びるために、みんなで力を合わせる。

ここまでは、「人間っていいね」の世界だ。

だが、だんだん「人と人との争い」に変化していく。人は集団を作り、さらに集団が分かれたり、新たな集団が出現したりして、人の集団同士、血みどろの争いを繰り広げていく。そのとき、ゾンビはいるにはいるが、もはや「端役」に過ぎず、その辺をただノロノロと歩いている背景にしかすぎない。

ひどいときは、相手が自分を銃で打つとき、ゾンビを「盾」にしている。ゾンビに対して気の毒だという気持ちを抱いたのは生まれて初めてだ。

「地獄が呼んでいる」も、最初こそ化け物が怖くて震えていたが、そのうちに新興宗教という、もっと恐ろしい敵が現れ、人々を支配するようになる。

ゾンビも化け物も、退治するために人は知恵を出し合い、協力するのが「とるべき道」なのだが、すっかりそんなことは忘れてしまい、人を支配したりされたり、殺し合ったりすることに忙しくなる。まったく愚かなことだ。

だが、この「愚かなこと」がフィクションでないのが、一番警戒すべき状態なのだ。

シーズン1の最終場面では、一度化け物に焼かれて、その展示されていた「焼死体」が生き返った。生き返ったことが吉とでるか凶とでるか。

シーズン2を観て確かめることにしよう。

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