安達祐実と青木崇高の共演と聞いただけで、「このドラマは絶対に面白い」と思わせるのはなぜだろう。期待に応えるように、ドラマは第1回始まりの直後から終了まで、息をもつかせぬ展開となった。
だが、このドラマには特殊班も出てこないし、スパイもスナイパーも東京地検も復讐に燃えるセレブも出てこない。出てくるのは、ごく普通の家族と、ごく普通にアプリの募集でハマってしまった大学生と、地方在住の人のよいチンピラ。
これらの人々がなぜこんなに面白い物語を展開できるのだろうか。それは、「普通」が地獄へ転がり込むのはいとも簡単なことだと私たちが納得してしまうからである。
ドラマ「3000万」の原作はありません。このドラマの面白いところは、毎回脚本家がリレー形式のように流れていき、物語の展開が読めない部分です。役者さんたちも、毎回の展開に驚きを隠せないようです。この方式は、海外では普通に行われていますが、日本ではまだなじみのないものです。これから、この形式の脚本が増えていくことでしょう
あなたも私も「佐々木家」のようになる可能性がある
佐々木家は、妻・祐子(安達祐実)と夫・義光(青木崇高)、そして息子の純一(味元耀大)の3人家族。純一はまだ小学生だが、ピアノがうまい。
祐子は通販会社のコールセンターで自給で働くパートタイマー。夫の義光は元ミュージシャン。今でもバンドがあきらめきれないが、生活のために交通整理員の仕事をしている。
生活は豊かではないが、いうほど貧しくもない。毎日節約に励み、切り詰めるところは切り詰めているが、それはどこの家庭も似たようなものだ。
そう。佐々木家は、日本の一般家庭の代表的な形なのかもしれない。もちろん、もっと上ももっと下もあるけれど(経済的に)、水道代や電気代を払うにも困るほどの貧困ではない。ゼイタクを言えばキリがないけれど、文句を言わなければそこそこの生活ができ、健康であれば幸せであるとも考えられる。
そんな「日本の家庭代表」のような佐々木家が、3000万というお金を手にした途端、運命の歯車がギシっと別の歯車にかみ合ってしまう。この物語の怖さはここにある。つまり、私たち誰もが佐々木家と同じ運命をたどるかもしれない、という恐ろしさである。
もしも「3000万」が転がり込んできたら
以前、こんなニュースを観たことががある。「自宅のポストに札束が500万円分投げ込まれていた」
もしも、自宅のポストに、500万とは言わないまでも、お札が入っていたら?札束とは言わない。たとえば、5万円だったらどうだろう?
明らかに、誰かが意図的に入れたものだ。誰だろう?まったく心当たりがない。このまま知らんぷりして、5万円もらってしまおうかと、誰でも少しは頭をかすめるのではないだろうか。
この時点で、人はふたつの道、どちらかを取る選択を迫られる。警察に届け出るか、届け出ないか。
私もすごく考えてみる。5万円は確かに欲しい。でも、5万円は明らかに自分の物ではない。そんなお金を手中に収めてしまったら、ずっと誰かに監視されているようで、怖くて夜も寝られないと思う。だから私は、警察に届け出る。決して「善人」だからではない。自分のものにした後の人生に自信が持てなくて、おびえてくらすのが嫌なだけだ。
だが、これが3000万だったら?しかも、佐々木家のように、接触事故をおこしたバイクから落ちたバッグの中に3000万入っていたら?しかも、事故の目撃者がいるわけでもなく、相手のバイク運転手も「助からないだろう」と警察から言われたとしたら?
3000万の存在を知る女性が、そのままこの世からいなくなったとしたら?
つまり、3000万の存在を知る者が、自分たちだけだとしたら?
佐々木家はそう思ってしまった。3000万あったら日常生活はかなり楽になるだろう。
そんな思いがふっとかすめるのは当然と言えば当然だ。
しかし、佐々木家の人間は「普通の良い人たち」である。3000万を警察に届けようとするが、機会を失ってしまう。時間が経てば経つほど、人は嘘を告白できなくなるものだ。
「間違いはできるだけ早く正すこと」
この、人としても当たり前のことができなかったために、佐々木家は地獄への入り口に立つことになる。
大金を持つと心に余裕が生まれる、その幸せ
佐々木家は、3000万をとりあえず家に置いておくことにした。だが、ほとぼりが冷めるまで使わないことを夫婦で約束する。絶対に、このお金には手を出さない。
だが、3000万が家にあるということだけで、こんなにも夫婦に笑顔が戻るものなのだろうか。祐子は、節約のために買うのをためらっていた高級なマスカットを朝食に出した。
100円ショップで買ったような、安っぽいプラスチックのザルと、高級なマスカットが対照的だ。昨日までの節約生活と、今日からの「ちょっとゼイタクな」生活が共存している瞬間だ。
義光は、これまでおそらくインスタントコーヒーだったのが、コーヒー豆を手でギリギリと挽くところから始めている。本格的なコーヒーを朝から楽しんでいるのだ。二人とも優しい笑顔。
義光は、こういう生活がしたかった。何よりも、男は「道具」が好きだ。これぞ男の醍醐味という、本格派のコーヒーに以前から憧れていたのだろう。義光は満足そうで、私も観ていてなぜか嬉しくなった。
「ほら、この匂い!やっぱり豆を挽くといいね」とでもいうように、二人でコーヒー豆の匂いをかぐ様子がなんともほほえましい。
お金は人を変える。お金があると、心に余裕が生まれ、節約でキリキリ思い悩むこともない。小さな幸せだが、これが本来の幸せだろう。だが、佐々木家の場合、上っ面だけの幸せだった。だって、3000万はネコババしたお金だから。
これが、いわゆる「幸せな家庭」の代表の朝食。だが、子供は微妙な雰囲気を感じ取っている。子供の感覚は鋭い。
「え?なんでお母さんとお父さんはこんなにニコニコしているんだろう?いつも不満そうなのに。そして、なんで朝からマスカットが出てくるの?お父さんはコーヒーを飲んでる。なんかおかしい」
息子の純一は気づいていた。何かおかしいと。そのおかしさが具体的には分からなかったが、子どもの本能はすでに何かを感づいていたのだ。
金は人を狂気へと導く
第1話の終わり、チンピラたちがバッグの中に入っているのはお札ではないと知ってあきらめた後。車の中で、なぜか祐子と義光は「もう大丈夫だ」と思ってしまった。
なんの根拠もないのだが、なぜか一番の危機を乗り越えたと勝手に思ってしまった。もう、自分たちがお金のことで疑われることはない。誰も自分たちを追ってこない。
そう考えたとき、祐子と義光はホッとしたあまり、狂ったように笑いだす。まさに狂気だ。
家に帰って、ベッドの上に3000万をぶちまけたときも、心は狂っていたに違いない。狂気が心臓から飛び出しそうになるのを必死で抑えて、「このお金は使わないようにしよう」と二人は固く誓い合った。
だが、その誓いが破られるのもあっという間だった。
「ほんの少し使うだけ」「まだたくさんあるから大丈夫」
お金は人の心をあらぬ方向へ導いていく。この話は、日本代表の家族におこりうるサスペンスだ。ということは、私もあなたも、気を緩めるとあっという間にサスペンスの主人公になる可能性は、十分あるということだ。
安達祐実と青木崇高のコンビは絶妙によい味を出している。こんな夫婦は確かに存在する、この日本のそこかしこに。