第9話は、おそらくこれまででもっとも悲しい物語だと思う。ただ、前を向いていきる選択である。弥生は自分の人生をどう選択するのだろうか。
つきあい始めたばかりの弥生
夏と弥生は仕事の取引先という関係で出会った。つきあい始めたばかりの二人。弥生は幸せそう。こんな小さなバッグを肩にかけ、夏と手をつないでいる。女性にとって、バッグの大きさには意味がある。このタイプのバッグは、相手との距離感を小さくので、弥生の夏に対しての気持ちが手に取るようにわかる。
夏と海を待つ弥生、表情が暗い
弥生は、夏と海との3人で、ショッピングセンターに行く約束をしていた。待合場所で、親子連れの3人を見かけた弥生の表情は暗かった。
夏や海にはめったに見せない、寂しく暗い表情の弥生。夏は弥生がいつもと違うことにすぐに気づいた。
試着室にて、「お母さん」に間違われる
海ちゃんの洋服を選んでいた3人。ブラウスを手に取り、「試着、いいですか」と店員に言う弥生。海が試着室に入ると、「お母さんも一緒にどうぞ」と店員が言う。
「一人で大丈夫だよ!」と、海。(この子は本当によく気が付く)
「一人で大丈夫です」と、弥生はきっぱりと言う。
いつもの弥生さんなら、笑顔で海と一緒に試着室に入ると思うんだけど、今日の言い方は冷たかった。もう我慢の限界なのかも。わかるような気がする…
「別れたいの?」と夏
海を家まで送り、夏と弥生は二人で歩いている。弥生は大きなバッグを持ち、夏との距離をわざと開けようとしているようだ。しかも、夏の側にバッグをかけている。意識的なものか、無意識にそうさせているのかは分からない。
夏が思い切って切り出す。
「弥生さん、どうしたい?海ちゃんのこと。弥生さん、ずっと機嫌悪そうだし。ずっと愛想笑いしてるし。別れたい?」
ついに言ってしまった、その言葉。
「別れたくないよ」弥生は答えて、一人で歩き始めた。
弥生「別れたいの?」
夏「別れたくないよ」
弥生「私が母親になるのって…」
夏「なってほしい」
弥生「じゃあ、いいんだよ、それで」投げやりな言い方で、弥生はまた夏の先を歩き始めた。
弥生の言葉に、何か「含み」があることは明らかだった。
夕食の誘いを断る弥生
弥生は仕事を終え、帰る準備をしていた。そこへ夏から電話。
「弥生さん、今日、夕食どう?」
「うん、いいよ、夏くんラーメン食べたいって言ってたよね」と、弥生は良い返事だが…
「今日、南雲さんが夜予定があるので、海ちゃんと外食してきてって。だから、3人でどうかなと思って」
少しの沈黙の後、弥生が言った。
「あー、仕事、もうちょっとかかるかも」
夏は、弥生が3人で会いたくないことに、薄々気づいていた。
水希からの手紙をまだ読んでいない弥生
夏は津野君に電話をかけ、弥生から何か聞いていないかと尋ねた。
「手紙を読んだほうがいいのか、迷ってましたよ。南雲さんからの手紙。何かに迷っているなら、読んだほうがいいと思いますけどね」
弥生の家で話を切り出す夏
夏は、弥生のマンションの前で待っていた。
夕飯の支度をしながら、夏が切り出す。「3人でいるの、辛いんでしょ」
「子供がいると知ったとき、面倒だと思った。弥生さんがいたし、いつかは家族が増えたとしても、当分はこのまま二人でいいと思ったから。でも、今は海ちゃんもすごく大切で、弥生さんが母親になってくれたら嬉しいし、正直、そなうなったら楽だと思った」
弥生は何も言わず、料理の手を止めなかった。そんな話は聞きたくもない、と思っているようだ。
「一人で親になるの、不安だったから。つらそうなのは少し前から感じていたが、無視した。3人でいたかったから」
「なのに、無神経に、弥生さんの前でも水希の話ばっかりして、自分の思い通りにしようとしてた、甘えてた。
弥生は重い口を開いた。
「ちょっと、待っててもらっていい?今は、自分がどうしたらいいか分からない」
夏は、弥生に水希からの手紙を読んでくれと頼んだ。
「夏くんの恋人へ」
弥生は、引き出しにしまっておいた水希からの手紙を取り出し、読み始めた。
手紙には、「夏よりも海を選んだ。自分が幸せだと思うほうを選んだ結果だです。海を見るたび、正しい選択だったと思います。誰も傷つけない選択なんてない。だからと言って、自分が犠牲になるのが正解とも限りません。他人に優しくなりすぎず、物分かりのいい人間を演じず、ちょっとズルをしてでも、自分で決めてください。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願っています」
手紙の最後の部分は、産婦人科で水希が読んだノートにあった、弥生の文章だった。
弥生の決意
弥生は、夏のアパートへ出かけていった。
アパートへ着くなり、弥生はバッグの中から「海ちゃんに渡すもの」を出し始めた。弥生の手作りの、パチワークのがま口、ひらがな練習ノートのセット、イルカのおもちゃ。
弥生は話し始めた。
「最初は3人でいるのが心地よかった。自分が、役に立てていると思いたかった。だが、本当は3人ではなかった。水希さんがいつもいた。私だけ仲間外れのような気もした。3人でいるのが、だんだん辛くなった。」
「月岡君が、水希っていうたびに、海ちゃんが、ママって言うたびに、うらやましいとか、悔しいとか、少しずつたまってきた。二人のことは好きだけど、二人といると、自分が嫌いになる。やっぱり私は、月岡君と二人でいたかった」
夏「あとは?あと、言いたいこと」
弥生「海ちゃんのお母さんにはならない。月岡君とは、別れたい。そっちは?そっちの言いたいことは?」
夏「3人が無理なら、どちらかを選ばなきゃいけないなら…海ちゃんを選ぶ」
弥生も、二人といる人生を選ばなかった。自分を選んだ。
別れるその時まで、手をつなごう
駅まで送っていくと、夏は言った。今日、別れるその時まで、海ちゃんを忘れて、二人の時間を大切にしようと夏は思った。
二人はずっと話していた。駅のホームで、何本も電車を見送りながら、くだらない話を延々とした。もう、別れのときはすぐそこだ。
「がんばれ。がんばれ、パパ。応援してる」
ホームに電車が到着した。乗り込む弥生を、泣きながら見送る夏。
夏は、海と二人で暮らすことを決めた。
海のはじまり:第9回 感想
弥生は、水希の手紙で夏と別れることを決めた。その手紙に書かれていた文章は、いつか自分が書いた文章だと、おそらく気づいていなかったのではないだろうか。
二人でいたい。でも、二人でいることはもうできない。三人でいることは、辛く、苦しい。だから、もう自分が幸せな人生を送れるほうを選ぶことにした。
弥生は夏と別れる決心をした。それが正解かどうかは分からない。ただ、そうするしかなかったのだと思う。
このままズルズルと三人で暮らすことは、できないことではない。だが、自分の気持ちにふたをして生きることになる。それは自由ではない。
人生は、自由であるべき。特に、精神は自由であるべき。弥生は「心の自由」を選んだのだ。
弥生は、ずっと「いい人」「物分かりのいい女性」を演じてきた。見ている方はつらかった。弥生の気持ちが分かりすぎるほどわかるからだ。
辛い選択だが、人生にはそんな分かれ道がいくつも存在する。どっちを選ぶかは、自分自身だ。自分が幸せになるほうを選ぶ。弥生には幸せになってほしいと、心から願う。