統一教会が解散命令を受け、実質的に教会は消滅となります。
解散した場合、統一教会の信者さんはどうなるのでしょうか?
この記事では、統一教会の解散と共に、信者の生活はどう変わるのかを考察していきます。
解散命令の後、信者の生活はどうなる?

解散命令後、信者さんはどうするのでしょうか?
宗教法人が解散されても、「信仰の自由」は憲法で守られているので、「個人の信仰自体は続けることが可能」です。
では、具体的にどうなるかというと:
- 信仰を個人で続ける人たち
- 礼拝や祈りを自宅で行ったり、仲間内で小さな集まりを持つなど、「信じる心」は保ち続ける人が多いです。
- ただし、公の場での活動や勧誘などは難しくなるでしょう。

つまり、みんなで集まって、集会所なんかでお祈りしたりすることはできなくなるのね。



そもそも、集会所なんて貸してくれないんじゃないの?
任意団体として活動を継続する可能性


- 過去にも、解散命令を受けた宗教団体が名前を変えて再結成(非法人で)した例があります。
例:オウム真理教 → アレフ、ひかりの輪など - 統一教会の場合も、「世界平和統一家庭連合」として活動していた流れがあるので、形を変えて残る可能性もあります。



名前を変えて残る可能性が大ですね。もっとも、まだ地方裁判所の判決なので、教団は上告しますし、まだまだ裁判は続きますよ。最高裁でひっくり返る可能性も無きにしも非ずです。
他の宗教に移る人も


ひとつの宗教に執着する人は、もう自分ひとりの考えで生きることはできませんから、その宗教が無くなった場合、別の何かに頼ることは十分考えられます。
自分の所属している宗教の組織が無くなったら、
組織の機能がなくなったことで、「この機会に距離を置く」人や、「違う宗教や価値観に触れてみる」人も当然出てきます。
二世の場合、親が勝手に入った宗教を嫌がっている子供も大勢います。宗教の仕事として、献金や勧誘などで相当悩むはずです。そういう場合は、解散命令が出たことで、精神的に解き放たれたと感じることでしょう。
居場所を失う不安や孤独感
長年その信仰を続けていた人にとって、宗教は人生、生活そのものです。
その場を突然断たれてしまったら、どうしたらよいのか、どこへ行けばよいのか見当もつかないでしょう。
生活の場も失い、人間関係も失った人は、突然の喪失感を感じることでしょう。
高齢者の場合


高齢者の場合、社会との接点が「宗教」しかない人も少なくないはずです。
そういう人は、宗教の場が無くなったら「どこに言ったらいいか分からない」という不安にさいなまされることになります。
行き場を失った高齢者の信者の中には、社会から孤立し、精神的ダメージも大きいと推測されます。
その場合、外の支援団体が手を差し伸べることができるのですが、まずは本人の気持ちが優先されるので、なかなか難しい状況が続くことになります。
働く場所がない
信者の中には、学校を卒業後、就職することもなく、そのまま教団の仕事をする人も多いものです。
一番多いのは、布教でしょうね。自分の親しい人から始める場合と、各地を回って布教する場合など、いろいろなケースがあります。
各地を回りながら、いろいろな物を売り歩くこともよくあります。
筆者の親戚のケース
筆者にも、とある信仰宗教に家族でハマってしまった親戚がいます。
我が家も相当な勢いで勧誘されましたが、断るのが大変でした。何しろ、彼らは「良い行い」をして、「我が家を救ってくれようと」するので、大変な迷惑だったのです。
まだ、詐欺でだまそうとするほうがマシで、その場合とっとと縁を切ることになりますが、ニコニコしながらやってくるので、なるべく関わらないようにするのが精いっぱいでした。
宗教は、ある意味「洗脳」ともいえるので、そうなるとそこから抜け出すのは難しいことです。
今回の解散命令は、「洗脳」状態にある人は途方にくれるでしょうし、その団体に疑念を抱く二世にとっては喜ばしいことと言えましょう。
いずれにせよ、まだ東京地裁で解散命令が出ただけです。これで終わりではありません。
統一教会は、上告しますから、まだまだ裁判は長く続くでしょう。
この先も見守りたいと思います。