「おむすび」観てますか?視聴率が低いとか、ギャルが無理とか、いろいろ言われています。私は初回からずっとおむすびを観続けていますが、ハッと気づいたことがあります。
この記事では、「なぜおむすびが不振なのか」を独自の視点で解説していきます。
朝ドラのヒロインはいつも前向きで元気だった
私は特に「朝ドラ」のファンでもないですし、観たり観なかったりの人間です。何しろ朝は忙しいので、15分じっと見続ける余裕はありません。
ですが、今はNHKプラスもあり、好きな時に観られるので、観たいときは観ています。私のようにNHKプラスの恩恵を受けている人は多いでしょう。
古くは「おはなはん」からずっと朝ドラを観ている人間ですが(古っ)、私の中の朝ドラは、「朝から元気のない視聴者を無理矢理引っ張ってくれるヒロイン」というイメージでした。
子役から始ることの多い朝ドラ。その子(女の子)は明るくて強く、時に泣き虫で聞かん坊。周囲を笑わせたり困らせたり、決して「良い子」の代表ではありません。
その女の子が大きくなり、昔の面影そのままに、好きな事に猛進したり、良い事は良い、悪い事は悪いとはっきり言う。青春時代はときにつまづき、迷い、悩むがそれも前向きに考え、毎日を精一杯過ごします。
戦争が入るときも必死に耐え、まわりを励まし、思いっきり泣く。しかし、一筋の光明も見える。
そんな「ワンパターン」とも言えるヒロインに、私たちは振り回されながらも元気をもらってきました。
そう。朝ドラは「元気をもらう」番組なんですよね。だって、私たちは毎日とても疲れていますから。
ところが、今回の朝ドラはちょっと違います。
後ろ向きで投げやりなヒロイン登場
「おむすび」のヒロイン、結(橋本環奈)は高校生。普通、高校生というと「まぶしいばかりのはっちゃけぶり」を画面いっぱいに表現してくれるはずなんですが、どうも今回は違います。
高校野球に明け暮れる翔也(佐野優斗)がズバリ、指摘してくれています。
「いつも悲しそうな顔をしている」
楽しいはずの高校生活が始まり、新しい友達ができても、書道部に素敵な先輩がいても、ギャルたちに会っても、結の顔はずっと暗いまま。どこかに影が差しています。
唯一、結が輝いていたのは、糸島フェスティバルでパラパラを踊ったときだけ。あとはすぐに暗くなりました。
ギャルもやめ、書道部もやめると言い出した結が選んだ道は「高校を卒業したら農業を継ぐ」というものでした。
ですが、明らかに結は農業を楽しんでいません。投げやりになっていますし、ムキになっています。「自分の将来などどうでもいい、農業でいいや」的な考えです。
あの様子を見ていると、どうしても結を応援する気にならないのは私だけでしょうか。一生懸命農業をやっている若い人たちに、失礼なような気がします。
震災が原因だとは分かっているが…
その理由は「阪神淡路大震災」を受けてのことだと分かってからは、こちらの気持ちも同じく暗くなりました。
このドラマのテーマは「震災」からの「栄養士」だということは理解しているのですが、朝からずっと「何もやる気のない」ヒロインを見守るのも視聴者として辛いものがあります。
私も、阪神淡路大震災はよく覚えています。関東に住みながら、確かに明け方揺れましたし、あのような大きな地震でたくさんの方が亡くなり、ビルや高速道路が倒壊し、あちこちから火が上がったことをテレビで観ました。
自分が生きている間にこのような恐ろしい災害が起きるとは夢にも思いませんでした。東日本大震災のときも、阪神淡路大震災のような大きな地震が人生で二度も起きた事実が信じられませんでした。
ですので、震災にあわれた方のご苦労は相当なものがあったことも分かります。それを乗り越えて生きていかなければならない辛さや悲しみもあったことでしょう。
ですが、結も、さらに言えば歩も、震災から8年経っても時間が止まっているのが気になります。あの時から投げやりになり、結も自分の生きる道を真剣に考えていません。
農業に進むのも本意ではなく、何をしても「どうせすべて無くなる」という気持ちを持ち続けたまま生きています。
ただ、それは朝ドラで1か月以上かけて見せるものではないな、とも感じます。この子たちは、ずっと暗く思い感情を自分の胸に秘めたまま生きてきたのです。
そろそろ、姉妹のわだかまりも溶け、来週からはようやく前に向かって進めるかな?という段階にようやくなりました。ただ、まだ先は分かりません。糸島を出て神戸に行くとなると、農業の問題やお金が無いなど、ひと悶着あるでしょう。
「時系列」でよかったのでは?
「おしん」を覚えていますか?子役で超有名になった「おしん」。あのドラマも暗さ100倍でしたが、おしんが小さい頃からおばあさんになるまで、ずっと時系列で一人の女性の生きざまを私たちに見せてくれました。
貧困、暴力、出稼ぎ、奉公、戦争、死など、これでもかというほど「悲惨」なシーンはありましたが、その都度おしんは悲しみ、怒り、絶え、最後は前向きに生きる。それを繰り返してきました。
だから、私たちはおしんと共に生きることができたのです。「毎日、がんばろう」と思えたのです。
ですが、結は私たちに「絶望」「投げやり」しか与えていません。高校生だから、というのは理由になりません。おシンは子供のころから私たちを元気にしてくれました。
おそらく、「おむすび」が結の幼少期から描いていたら、私たちの受け取り方も違ったのでは、と思います。
明るく、元気だった結。優しい姉と、美紀ちゃん。いきなりの大震災。家族の苦労と友達の死。糸島へ帰る。そしてまた神戸へ戻る。
そういう流れだったら、私たちも結や米田家の皆さんと、心を同じにして生きることができたのではないかと思うのです。
最初から意味も分からず、「ギャル」や「暗いヒロイン」を見せられて、「なんで?」と頭の中でクエスチョンマークが100個ぐらいぐるぐる回ることもなかったのではないか、と思います。
いかがでしょうか。