回を追うごとに謎が謎を呼び、考察系も頭を抱えて外しまくったドラマ「笑うマトリョーシカ」。誰もが「清家のハヌッセンは誰か?」を知りたくて最終回をワクワクドキドキしながら観た(はずだ)。
このドラマには、よい意味で裏切られた。もしかすると、今期最高の「挑戦した」ドラマだったと言えるだろう。何に挑戦した?もちろん「今の政治」である。
この記事では、清家のハヌッセンとはいったい誰だったのか、そして、今の政治とどこが似ているのか、この二つを解説したい。
ハヌッセンとは、裏でヒトラーを操っていた人物のこと。清家はヒトラーという設定である。(実際に清家一郎はヒトラーを崇拝している)
清家一郎のハヌッセンは誰だったのか
連続ドラマの最終回は、たいていバタバタとしているものだが、「笑うマトリョーシカ」も最終回はバタバタしていた。いろいろな要素を詰め込みすぎだ。だが、これまでの謎を解き明かすのはこの回しかなかったのだろう。
清家一郎(櫻井翔)は、相対する道上香苗(水川あさみ)に「ハヌッセンなんていませんよ」とうそぶく。清家のこの言葉は、半分本当で、半分は嘘だ。
清家は、生まれてから母(高岡早紀)と祖母に育てられてきた。家にはテレビもなく、友達と遊ぶことすら許されなかった。いや、友達を作ることすら許されなかった。
母からは他者を信じないようにと言われ続けた。生まれてから中学卒業までずっとだ。清家は外の世界を知らなかった。いわゆる「洗脳」だ。宗教の洗脳によく似ている。
高校に入学すると、母から「友達を作れ」と言われた。驚いた一郎に、「友達かどうかを決めるのは私」とも。母は、高校時代に自分が決めた「友達」を使って清家を父と同じ政治家にのし上がらせようと決めたのだった。
その友達が鈴木と佐々木だったわけだが、清家は次第に自我が芽生えていた。清家にとって初めてできた友達だったが、それまで友達がどのような存在かもわからなかったので、とまどいはあったはずだ。
遅い自我が芽生えてきたと同時に、清家は自分が他者から操られていることに気づき始めた。清家の心の中を「復讐」という言葉が占めるようになった。
清家は復讐を始めた。その人間にとって、最も残酷な場面での復讐。相手が頂点に立ったと感じたその瞬間に、奈落の底へ突き落す。
- 母は、清家が初の国会議員に当選したとき、縁を切った。
- 亜里沙(田辺桃子)は、清家が官房長官になり、いよいよ次は総理大臣を目指すというとき、縁を切った。
- 鈴木(玉山鉄二)も、政務秘書官時代に交通事故に会う(清家の仕業)
清家一郎は、自分を操ろうとしていた人間を、絶頂期にどん底まで落とし、復讐を遂げている。
清家の祖母が、酒に酔うと「復讐」という意味の中国語を発していたのだが、図らずも、祖母も母も、その手を借りて復讐させようと思っていた一郎に、自分たちが復讐されるという悲劇を呼んだ。
ハヌッセンは、確かにいた。幼少期から青年時代までは、祖母と母が「ハヌッセン」だった。だが、それに気づいた一郎は、自らを演じながら総理大臣にまで上り詰めた。復讐を遂げながら。
何重にも顔を持つマトリョーシカのような清家
清家一郎は、香苗の前でマトリョーシカをひとつひとつ取り出していく。最後に出てきた、一番小さなマトリョーシカが、清家一郎そのものだ。
怒っているのか、泣いているのか。マトリョーシカの表情は人によって様々な様相を見せる。それが面白く、恐ろしい。不気味と言ってもいい。
自分で自分のことが分からないと言う清家。これまで人に見せたこともない自分の姿を、次々と香苗に披露していく。だが一郎の正体は、一郎自身にも分からない。政治家のトップに上り詰めて、何をしたいのかも分からない。彼には目標がなかった。
おそらく、生まれてから中学卒業のその時まで、友達すら作ることを禁じられ、テレビも無く、外界からほぼ遮断された生活を送ってきたためだと推測される。
リアル政治家と清家一郎は同じだった
おりしも、2024年9月現在、自由民主党総裁選の真っただ中。最終回の9月6日には、総裁選に出馬する小泉進次郎氏が会見を行っていた。その日の夜に、ドラマ「笑うマトリョーシカ」は最終回を迎えた。これは偶然にしては出来すぎているが、まあ、偶然だろう。(別に、小泉進次郎が清家一郎だとは思っていない。清家一郎みたいな政治家は他にもたくさんいるから。)
ドラマの放映は前から決まっていたし、岸田政権がいつまで続くかは8月になってみないと分からなかったからだ。まるで「笑うマトリョーシカ」の最終回が最高の盛り上がりを見せるために、岸田さんが裏で動いていたとしか思えない(そんなはずはないが)。
清家一郎は、自分の目標もないし、やるべきことも分からない。人に操られるのは嫌いだが、ブレインになってくれる人がいないと政策もままならない。
それって、今の政治家に似ていませんか?誰とは言わないが、二世議員だらけで、特に思い入れもなくそのまま政治家になってしまった人々。
先日まで公言していた政策を、いきなり引っ込めてしまう人。
人に操られているのか、操っているのか、どういう人間なのか周りから見てもさっぱり分からず、どこをどう信頼すればよいのか分からない人。
芯がぶれている人。(あの人についたり、この人についたり。)
清家一郎が最後に言った。「ボクにはやりたいことががないけれど、権力を持つと、蜜の味がするんですよ」
全く恐ろしい話だ。何が恐ろしいって、清家の言うことが真実だからだ。
笑うマトリョーシカを観ていた政治家はどれほどいるだろう。さらに、清家一郎を自分に置き換えて観ていた政治家は何人いるだろう。おそらく一人もいないのでは?
清家一郎をずっと見続けるジャーナリストの道上香苗
だが清家には、心強い味方がいる。道上香苗だ。
道上は、ほんの一時期清家一郎のブレーンになっていた。自分がブレーンになることにより、清家一郎が間違った方向に進んだとき、正せるのは自分だと思っていたからだ。
だが香苗は、あくまでジャーナリストとしての視点を忘れなかった。香苗はブレーンを降り、1人のジャーナリストとして清家一郎を見守ることにした。
彼が間違った方向に進んだときは、ジャーナリストとして記事を書き、国民に知らしめる。これが真のジャーナリストの姿である。
はたして、ジャーナリストの皆さんは、笑うマトリョーシカを観ていただろうか。観ていないだろう。自分には関係ないことだと思っていただろう。だが、すべてのジャーナリストの皆さんに問いたい。あなたは道上香苗のように生きられるか?
どうでもいい質問ばかりしないで、相手が答えに窮するような質問をして、国民の前に真実をさらしてほしい。そういうジャーナリストがいないから、国民は政治に関心を持たなくなるのだ。本来は、政治は面白いものだ。だって、自分たちの生活は政治と密接に結びついているからだ。
清家一郎は、勢いと若さだけで首相にまで上り詰めた。いまの日本への警鐘と受け止め、私たちも政治家、ジャーナリストたちを鋭い目で見ていきたい。
「ずっとあなたを観ていますから」