日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」第6話は幸せな回でした。3組のカップルが誕生したのです。
リナ(池田エライザ)と進平(斎藤工)。この二人は結ばれるべくして結ばれる関係(でも二人とも影がある。今後この影がどうなるかが不安)。リナは赤ちゃんを産みました。元気な男の子。
朝子(杉咲花)と鉄平(神木隆之介)がお互いに告白。この二人は「やっとか」という感じで、これから正式なお付き合いが始まるでしょう。(こちらも不穏な空気が流れている)
そして、百合子(土屋太鳳)と賢将(清水尋也)。この記事では、この二人、特に百合子の「カトリック問題」を取り上げます。
百合子は被爆者
長崎に原爆が投下されたとき、百合子は母と姉と一緒に長崎にいました。姉は亡くなり、百合子は助かりましたが被爆者になりました。
百合子の母も被爆後の後遺症に苦しみ、寝たきりになったまま、苦しみながら亡くなります。
被爆者である百合子も、いつ後遺症が表面化するか分かりません。百合子が肩を抑え、十字架を触るのも胸騒ぎを抑えるためです。自分の命がいつ果てるか分からない恐怖は、被爆者にしか分からないものです。
それだけでなく、被爆者は差別されるという理不尽な扱いをされていました。特に女性は、「嫁にもらう人間が被ばくしていたらいつ死ぬかもわからないし、生まれてくる子どももどうなるかわからん」というひどい差別に苦しんでいました。
被ばくするという苦しみ、差別されるという苦しみ。被爆者は二重の苦しみを味わうことになります。
そんな百合子に結婚しようと言ってくれた賢将。百合子はどれほど嬉しかったことでしょう。百合子の事情は賢将の父親(沢村一樹)も理解し、了承してくれています。
「私、カトリックだから離婚できない」
百合子には結婚をためらうもう一つの理由がありました。「カトリック教徒である」ことです。
百合子は賢将に「私、カトリックだから離婚できない」と伝えます。賢将は、それもオーケーします。これはどういうことでしょう?
カトリック教は、教義として「離婚を禁止」しています。百合子は経験なカトリック教徒。幼い頃から姉と一緒に、母に連れられて長崎の教会に毎週日曜日に通っていました。
洗礼名も与えられて、自分の十字架も幼い頃から大事に首に下げていた百合子は、母、姉、そして自分たちが受けた理不尽な仕打ちにどうしても納得できず、一度は信仰から離れようと、首から下げていた十字架を窓から投げ捨てます。
その十字架を偶然拾ったのが賢将でした。賢将がそれを百合子の元に返したとき、百合子は信仰を捨てることを心から悔いたのでした。
賢将の両親は、母親が端島から出て行きました。つまり、賢将の両親は離婚しています。そんな賢将も、百合子と生涯向き合いたいと心から願ったのです。
大変心震える場面でした。
ところで、1950年代のこのドラマの時代では「カトリックは離婚できない」とされていますが、現代の事情はどうなっているのでしょうか。
現代でもカトリックは離婚できないのか?
百合子の「カトリックは離婚できない」という言葉は、現代のこの世の中でも生きています。
カトリック教会は、結婚を神の前での永遠の約束と見なしており、離婚を認めません。また、離婚歴のある人物がカトリック教会で再婚することは、教義的に許可されません。厳しいですね。
実際はどうなのか?
しかし、現実にはカトリック信者でも離婚する人がいます。社会の風潮や個人的な状況により、離婚することはどうしても起こりうるでしょう。
このような「カトリック教徒でも離婚したい」場合は、信者が籍を抜くことで離婚は成立します。これは、日本の民法で許されているからです。ですが、教会は正式に離婚を認めません。ここで教会が離婚を認めてしまったら、「いったい教義とはなんなのか」がメチャクチャになるからですね。
教会の対応も変わってきている
教会は、離婚した信者に対して、聖餐式を受けることを認めない場合が多く、再婚も認められません。
ただし、フランシス法王の下で、教会の道徳的制限が緩和される動きも見られ、離婚した信者が新たな伴侶と暮らすことを認める見解も存在します。
つまり、現在の「多様性を認める社会」により、今後は教会の立場が柔軟になっていく可能性もあるでしょう。
百合子と賢将の場合は?
百合子と賢将は、端島で屋外の結婚式ですね。天気も良くて素晴らしい雰囲気でした。左に立っているのは日本人の神父さんですね。長崎の教会から来てもらったのでしょう。
百合子と賢将は末永く幸せに暮らしていくことと思われますが(そう期待します)、もしも、万が一離婚することになったとしても、賢将はカトリックの信者でないので、離婚は認められます。
双方がカトリック教徒である場合は、教会は離婚を認めません。
信者でない人間がカトリックの教会で式を挙げた場合は?
わたし事で恐縮ですが、私は大学の教会で結婚式を挙げました。
上智大学という大学なのですが、カトリックの大学です。ですが、学生はカトリック教徒とか関係ない人がほとんどです。上智大学出身の人間は、上智のクルトゥールハイムという教会で結婚式をあげることが多いです。そこが空いていないときは、2号館の聖堂でも式を挙げることができます。いわゆる、単なる「ミーハー」精神です。
わたしも主人も上智大の出身なので、そういう場合は大学の教会で式を挙げることが多いのです。その場合、私の先生である神父さんに結婚式をお願いするのですが、その前に3回ほど講義を受けます。(二人で神父さんの部屋に行って、1時間ほどお話を聞きます。)
そのとき、しつこいほど「離婚してはいけない」という話をされました。もちろん、これから結婚する人間ですから、離婚するなんてことは露ほども考えていませんから、ふーん、という感じで話を聞いていました。
私と同じように、「信者ではないが、カトリックの大学の教会で神父さんに式を挙げてもらう」人は山ほどいます。
ですが、関係なく、皆さん普通に離婚しています。つまり、信者でなければ、カトリックの教会で式を挙げても関係なく離婚できます。
当たり前ですが、ちょっと心配している人がいるのも事実ですので、こうして書いていますので安心してください。(安心してくださいって言うのもどうかと思いますが)
神父と牧師の違い
これは、当たり前の人には当たり前のことですが、知らない人は意外と多いので書いておきます。
カトリックの場合は神父さん。神父さんは結婚しません。一生独身です。
プロテスタントの場合は牧師さん。牧師さんは普通に結婚し、家庭を持つことができます。
大きな違いですよね!
ゴッドファーザーに出てくるのは皆さん神父さんです。ゴッドファーザー観ましたか?ゴッドファーザーは3までありますが、神父さんが一番出てくるのは「3」です。あれを見ると、神父や教会がいかに恐ろしい存在かよく分かります。
おっと、話がそれますので、今日はこれくらいで。
百合子と賢将がいつまでも幸せでありますように!