【松下洸平】実は歌もダンスも上手くて絵も描ける!マルチタレントの衝撃!

当ページのリンクには広告が含まれています。
スポンサーリンク

松下洸平さんと聞くと、「物静かで真面目な」俳優さんというイメージを持つ人が多いでしょう。

たしかにそういう一面はありますが、実は松下さんはダンスも得意、歌が上手くて元々歌手からデビューした、しかもお母さん譲りで絵がめちゃくちゃうまいという、素晴らしい才能を持ったマルチタレントなんです。

この記事では、そんな松下さんの知られざる才能について深掘りしていきます。

スポンサーリンク
目次

絵のうまさは母親譲り

松下洸平さんのお母様は画家です。お母様の影響もあり、松下さんは小さい頃から絵を描くのが得意でした。高校では美術を専攻し、油絵を描いていました。

絵は現在も描いており、インスタグラムにもアップされています。下の絵は「メレンゲの気持ち」で共演された久本雅美さんの肖像画ですが、素晴らしいですね。

Copicという、漫画家やイラストレーターが使うペンと、色鉛筆とアクリル絵の具を使っているそうです。いろいろな技法をミックスさせているのも珍しいですし、絵に深みが増しています。

ただ単に「絵が好きな人」が書く絵ではなく、しっかりと線画とデッサンを勉強した人の絵なので、見ごたえがあります。

筆者の意見

私も以前絵を習ったことがありますが、もともと下手だったうえに、デッサンが難しくて脱落しました…デッサンは基本中の基本なので、デッサンができないと絵が描けないんですよね。ちなみに、私はパステル画でした。だから、まだ家にパステル絵の具がたくさん残っています…

ストリートダンスが得意な松下洸平

松下さんは、高校で美術を専攻しながら、放課後や土日はストリートダンスもやっていました。松下さんがダンスを始めたのは中学校の時からです。当時はストリートダンスに鷹揚な時代で、高校生が駅の構内の広い場所でダンスの練習をしていても、みんな黙認してくれていました。

今はすぐに「場所の許可はとったのか」などと通報する市民がいるので、ストリートダンスをする人たちもやりにくいでしょう。また、大音量で音楽をかけるので「音がうるさい」と警察に通報する人もいるそうです。シゲキックスが有名になっても、まだまだストリートダンスには眉をひそめるおじさん、おばさんが多いのでしょうね。

油絵は一人でやるものですが、ストリートダンスはみんなでやるもの。ダンスの技を競い合ったり、ほめあったり、ダンスが終わってからも話したり、食べたり飲んだり。高校生ですからお金がないので、近くの公園に座って話し込むこともあったでしょう。

ちなみに、以前テレビで松下さんが少しだけダンスを披露していましたが、足さばきが絶妙にうまくて、リズム感もあり、身体の動きもスムーズでかっこよかったです。

ヒップホップ系のダンスでしたが、あの場所では狭くてブレイキンはできないと思います。ダンスをやる人は、だいたい「ヒップホップ系」(エグザイルのダンサー、と言えばわかるでしょうか)か、「ブレイキン」(オリンピックの種目にもなった、アクロバティックなダンス)に分かれます。

松下さんはどちらかと言えば、ヒップホップ系のようなダンスでした。

いきなり「歌手になろう」と決めた瞬間

高校で油絵を専攻していた松下さんは、母親も画家なので、当然大学も美術大学に行くものと、本人も親も思っていました。

ですが、転機が訪れます。ある日、「天使にラブソングを 2」を見てしまった松下さんは、終盤に出てくる黒人の男の子が歌う場面に大感動し、「歌っていいな!」と思います。

「天使にラブソングを2」

当時、ストリートダンスをやってはいましたが、松下さんは歌に関する専門知識もなく、もちろん歌の勉強をしたこともなく、楽器も弾けません。ですが、「自分でもよくわらかない気持ちですが、なんでか歌いたくなっちゃって」、音楽を勉強する道に進むことを決心します。

美大に進むものと思い込んでいた両親は、ひっくり返るほど驚いたといいます。(そりゃそうでしょう)

ですが、松下さんの決意は固く、音楽の専門学校(2年制)に通うことになりました。

卒業後、すんなりデビューしたものの…

当初は音楽の道に進むことを反対していた母親ですが、結局は自分の好きなことをやることに賛成します。松下洸平は、「「専門学校東京ミュージックアンドメディアアーツ尚美ヴォーカル学科」へ進み、2年間歌の勉強に励みます。

無事に卒業した松下さんは、なんと翌年にはプロデビューが決まります。もともと歌の才能があったのでしょう。さらに、「歌が好き好きで」という気持ちが勝っていた松下さんにとって、順風満帆と言ってもよい滑り出しでした。

ですが、現実はそれほど甘くはありませんでした。

デビューしたと言っても、たとえばどこかの催し物に呼ばれたり、イベントの前座に呼ばれたりといった機会ばかり。

何グループも出演する中で、少しずつ観客が減っていき、自分が出る番には観客が誰もいない、という状況もあったそうです。

デビューするのと「歌で食べていける」のは全く違うのだと感じた、とても苦しい時代でした。

そんなとき、ミュージカルのオーディションを受けることになります。無事に合格したミュージカルは大変素晴らしく、「ミュージカル」「舞台」にのめり込んでいくことになります。

舞台が好きだった松下さんですが、やはりなかなか芽が出ずに苦しんでいました。音楽学校を卒業してからずっと売れない日々が続きました。ですので、松下さんの中では「20代はずっと苦しかった」想い出ばかりになります。

スポンサーリンク

何度目かの挑戦で「朝ドラ」に合格

そんな苦しい中、松下さんは朝ドラのオーディションを数年間受け続けました。もうだめか、と思っていたとき、やっと朝ドラのオーディションに合格の知らせを受けました。

それが、松下さんを大ブレイクさせた「スカーレット」。主演・戸田恵梨香の相手役です。松下さん、32歳の時です。

「スカーレット」を通じて松下さんのことを「知った」というファンも多いと思います。かく言う私も、松下さんのことを初めて知ったのは「スカーレット」で八郎の役を演じていたときでした。

「スカーレット」の八郎の役

スカーレットは、焼き物に命を注ぐ女性・喜美子(戸田恵梨香)の人生を描いたドラマです。相手役の八郎は、子供のころから決して目立つ存在ではありませんでした。根っから明るい性格でもないが、とにかくまっすぐで真面目な性格。何事に対しても一生懸命、誠意を持って取り組める青年です。

松下さんは八郎として吹き替えなしの「作陶」に挑戦しています。陶芸、実はこの時が初めてではありませんでした。美術を専攻していた高校時代、授業で少し経験したことがあったのです。

ですが、それもかなり昔の話。真面目な松下さんは、一から学ぶつもりで撮影と並行して陶芸の稽古をはじめていました。

「陶工」という職業については、「『陶芸家』と違って『陶工』は商業ベースで一日100個単位のお皿を作らなければいけない。それで生計を立てているわけですから。本当にパワーがいる作業だと思いました。それが楽しいと思えるのは、僕自身がものを作るのが好きだからだと思います」とかなり魅力を感じている様子。

松下洸平インタビューより抜粋

 

そんな性格の「八郎」を演じる松下洸平ファンが爆上がりし、そのイメージが現在にまで強く残っています。

スポンサーリンク

「with MUSIC」に司会者として出演

ですので、2024年4月にスタートした歌番組「with MUSIC」に司会としてレギュラー出演することになったことは驚きでした。有働由美子さんと二人のコンビでしたが、見ていると有働さんがキャッキャッとはしゃぎすぎ、逆に松下さんは淡々と進める、そんな印象です。

「松下さん、なんでこんな番組を引き受けたんだろう、歌、好きなのかな」と思っていたのですが、そんなふうに思っていた私はバカでした。松下さんはもともと歌手だったのです!歌に対する情熱は人一倍なんですね。

(ただ、有働さんが一人で走りすぎているので、松下さんは一緒にはしゃぐこともできず、ああいう進行に落ち着いたのだと思います。)

松下洸平はマルチタレント:まとめ

「真面目で実直」な性格の松下洸平さんは、実は何でもできるマルチタレント。

  • 画家の母親の影響で小さい頃から絵が得意(今でも描いている)
  • 中学から高校ではダンス(ストリートダンス)をやっていた
  • 「天使にラブソングを2」を見て歌に興味を持つ
  • 美大には進まず、音楽の専門学校に通う
  • 歌手デビューがすぐ決まった
  • ミュージカル、舞台も経験
  • 朝ドラ「スカーレット」で爆発的な人気を博す
スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次