「袴田事件」無罪判決が確定!58年越しの冤罪がついに晴れる!おめでとう!

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1966年に発生した袴田事件は、静岡県で一家4人が殺害された凄惨な事件でした。逮捕された袴田巌さんは、厳しい取り調べの末に自白を強要され、最終的に死刑判決を受けました。しかし、その後の再審で新たな証拠や証拠捏造の疑惑が浮上し、冤罪の可能性が強まることとなりました。袴田さんの無罪が確定するまでに実に58年もの歳月がかかり、長い間、姉のひで子さんが彼を支え続けてきました。本記事では、この冤罪事件の詳細と無罪判決に至る経緯について解説します。

  • 袴田事件の概要と冤罪について
  • 再審で争点となった5点の衣類や証拠捏造の疑惑
  • DNA鑑定など新たな証拠で無罪が確定した理由
  • 姉のひで子さんが58年間支え続けた

速報:無罪の判決が出ましたが、今後の注目は検察の対応です。

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目次

袴田さん 無罪が確定した再審判決

58年間絶え続けた袴田巌さんとお姉さんのひで子さんに、ようやく正義の判定がくだされました。

無罪判決直後のNHK記者

判決日午後2時前の袴田さんの様子。体調を考慮して、袴田さんは裁判所への出廷は免除され、代わりに姉のひで子さんが判決を聞きに行きました。

判決が出る9月26日2時直前の袴田さん(自宅での様子)

袴田事件とは?58年前に起きた一家殺害事件

袴田事件は、1966年に静岡県で発生した一家4人殺害事件を指します。事件は6月30日、味噌製造会社の専務の自宅が全焼し、焼け跡から専務、その妻、長女、次女の4人の遺体が発見されたことに端を発しました。遺体には、複数の刺し傷が確認されており、殺人事件として大々的に捜査が始まりました。

警察は、味噌工場の従業員であり、元プロボクサーの袴田巌さんを容疑者と見なしました。当時、袴田さんは事件に関与していないと主張していましたが、長期間にわたる厳しい取り調べの末に自白を強要され、逮捕されました。その後の裁判で、袴田さんは犯行を否認し、無罪を主張しましたが、1968年に死刑判決が下されました。

事件から数十年が経過し、袴田さんの再審請求が繰り返される中で、新たな証拠や捜査の不備が浮き彫りとなり、冤罪の可能性が指摘されるようになりました。この事件は日本の刑事司法制度における重大な問題として、現在も注目されています。

静岡地裁の無罪判決で注目された冤罪の可能性

静岡地方裁判所は2023年、袴田事件の再審において無罪判決を言い渡しました。この判決が注目されたのは、冤罪の可能性が高いとされたからです。特に争点となったのは、袴田さんが事件当時着ていたとされる「5点の衣類」に付着した血痕の色の変化です。衣類は事件の1年2か月後に発見され、検察はこれを有罪の決め手としましたが、再審では「1年以上味噌に漬けられていたはずの血痕が赤いままであるのは不自然」との専門家の指摘がなされました。

また、袴田さんの自白も問題視されています。長時間に及ぶ取り調べの中で強要された自白であったため、信ぴょう性が低いと判断されました。これらの証拠が再検証された結果、冤罪の可能性が高まり、最終的に無罪判決が下されたのです。この判決は、日本の司法制度における自白偏重の問題や証拠の捏造の可能性を改めて浮き彫りにしました。

冤罪の証拠として争点となった5点の衣類

袴田事件の再審で大きな争点となったのは、「5点の衣類」と呼ばれる証拠です。これらは、事件発生から1年2か月後に味噌タンクから発見されたシャツやステテコなどで、当時の裁判で袴田さんが犯行時に着ていたものとされていました。検察は、これらの衣類に付いた血痕が有罪を裏付ける決定的な証拠だと主張しました。

しかし、弁護側は、この「5点の衣類」が事件当時のものであるかについて疑問を呈しました。特に、衣類が事件発生後すぐには見つからなかったこと、またそのサイズが袴田さんに合わなかったことなど、物的証拠としての信ぴょう性が薄いと指摘しています。これらの点が再審の中で詳細に検討され、結果として冤罪の可能性が浮上したのです。

5点の衣類に残った血痕の赤みが不自然とされた理由

再審での最大の争点となったのは、5点の衣類に付いていた血痕の「赤み」です。通常、血痕は時間が経つと酸化し、黒っぽく変色することが知られています。しかし、1年以上も味噌タンクの中にあったはずの衣類の血痕が、発見時にはまだ鮮やかな赤みを帯びていたため、その点が不自然だと指摘されました。

弁護団は専門家による実験結果をもとに、血痕が長期間味噌に浸かっていた場合、化学反応によって黒くなることを立証しました。これに対して、検察側は「味噌の成分が血痕の赤みを保った可能性がある」と反論しましたが、最終的には科学的に説得力が乏しいと判断されました。この不自然な赤みが、袴田さんが無実であるという主張を強め、冤罪の決定的な証拠として認められたのです。

冤罪の背景にあった証拠の捏造疑惑

袴田事件の再審において、特に注目されたのは捜査機関による「証拠の捏造疑惑」です。事件発生から1年以上経過した後に発見された5点の衣類が、犯行時のものとされましたが、弁護側はこれが意図的にタンクに隠された可能性を指摘しました。この衣類は、事件の直後に行われた捜索では発見されておらず、また衣類のサイズが袴田さんに合わないなどの不自然な点がいくつか存在していました。

下の画像は、実際に検察側が証拠として提出した袴田さんのズボンを本人にはかせている場面です。何回も試みましたが、結局サイズが小さすぎて履くことができませんでした。

さらに、血痕の色が変わっていないことや、他の証拠との矛盾が多く見つかり、これらが捏造された証拠ではないかとの疑念が高まりました。捜査機関が袴田さんを有罪にするために意図的に証拠を作り上げた可能性が強く、結果的にこの疑惑が冤罪の背景にあったとされています。

弁護団が再審で提出した新たな証拠とは?

弁護団は再審の際、これまでの裁判で明らかにされなかった「新たな証拠」を提出し、冤罪の可能性を強調しました。その中でも特に重要だったのは、5点の衣類に関する新たな科学鑑定です。弁護側は、衣類が1年以上味噌に浸かっていたにもかかわらず血痕が赤いままだったことに注目し、これが不自然であるとする実験結果を提示しました。この実験では、通常なら血液が黒く変色することが確認され、捜査機関の証拠に対する信頼性が大きく揺らぎました。

さらに、DNA鑑定によって、衣類に付着していた血痕が袴田さんや被害者のものではないことも証明されました。これらの新たな証拠は、袴田さんが事件に関与していない可能性を強く示すものであり、再審開始を決定付けた要因となりました。弁護団の継続的な努力が、最終的に袴田さんの無罪判決へとつながったのです。

姉のひで子さんが支え続けた58年にわたる戦い

袴田事件で最も長く支え続けたのは、袴田巌さんの姉、ひで子さんでした。事件が発生した1966年から2023年にかけての58年間、ひで子さんは一貫して弟の無罪を信じ、袴田さんのために闘い続けました。特に、長い年月にわたって袴田さんが冤罪で苦しんでいると確信していた彼女は、弁護団と共に再審を求め続け、様々な困難に直面しながらも決して諦めることはありませんでした。

袴田さんが長年にわたり死刑囚として過ごす間、ひで子さんは、弟の無実を証明するために情報発信を続け、再審の必要性を訴え続けてきました。特に、精神的な疲労や高齢による体力的な限界にもかかわらず、弟の無罪を信じる思いだけでこの闘いを支え続けてきたことが、周囲からも大きな敬意を集めました。

ひで子さんの支えがなければ、袴田事件が再び裁判で争われることはなかったかもしれません。2023年の無罪判決を前にしたひで子さんは、報道陣に対して「平常心でいる」と語りながらも、内心では無罪を強く信じていました。彼女の長きにわたる支援と信念が、袴田さんの無実を証明する大きな力となったのです。

袴田さん 無罪と判決が出た要因

事件当時には未熟だった鑑定技術も進み、残された血痕からDNA鑑定がなされました。

DNA鑑定で明らかになった真実

袴田事件の再審で重要な役割を果たしたのが、DNA鑑定です。この鑑定により、袴田巌さんが事件に関与していない可能性が強まる結果が得られました。特に注目されたのは、袴田さんが犯行時に着ていたとされる「5点の衣類」に付着していた血痕です。この血痕は、当初の裁判で有罪の決め手とされましたが、再審でのDNA鑑定によって、血痕が袴田さんでも被害者でもない人物のものであることが判明しました。

この結果により、従来の捜査で使用されていた物的証拠が根拠のないものであったことが明らかになりました。DNA鑑定は、技術の進化によって新たに導入された証拠分析方法であり、それまでの証拠と大きく異なる結論をもたらしました。これが袴田さんの無罪を示す大きな要因の一つとなり、冤罪の可能性を一層強めたのです。

捜査機関による証拠捏造の可能性を指摘

袴田事件の再審では、捜査機関が証拠を意図的に捏造した可能性が指摘されました。特に問題となったのは、犯行時に袴田さんが着ていたとされる「5点の衣類」です。この衣類は、事件発生から1年2か月後に味噌タンクの中から発見されたものでしたが、発見のタイミングやその状態に多くの疑問が浮上しました。

弁護団は、この衣類が発見された時期や状態が不自然であると指摘し、事件後に捜査機関が証拠として意図的に用意したのではないかと主張しました。さらに、捜査機関は裏木戸の鍵を無理に外す実験を行い、袴田さんが通ったと見せかけるなど、捏造を疑わせる行為が複数行われていたことも明らかになっています。これらの事実が積み重なり、捜査機関の信頼性に疑問が投げかけられ、証拠の捏造が袴田さんを有罪に追い込んだ大きな要因であったとされています。

弁護団が行った味噌漬け実験の結果とは?

袴田事件の再審で大きな話題となったのが、弁護団が行った「味噌漬け実験」です。これは、袴田さんが犯行時に着ていたとされる5点の衣類に付いた血痕が、1年以上味噌の中にあったにもかかわらず赤みが残っていたことが不自然だという主張を裏付けるためのものでした。弁護団は、血のついた衣類を実際に味噌に漬け、長期間放置するという実験を行いました。

実験の結果、衣類に付着した血痕は黒く変色し、赤みが残らないことが確認されました。このことから、5点の衣類は事件直後に味噌タンクに入れられたものではなく、後から誰かが意図的に入れた可能性が高いと結論づけられました。この実験結果は、捜査機関が証拠を捏造した可能性を強く示す重要な要素となり、袴田さんの無罪を支持する証拠の一つとなりました。

袴田さんの自白が強要された経緯

袴田さんの自白がどのようにして得られたのかも、冤罪の重要な要因として再審で問題視されました。袴田さんは逮捕当初、無実を主張していましたが、長時間にわたる厳しい取り調べを受け、自白に追い込まれたとされています。取り調べは連日行われ、袴田さんはほとんど休む暇も与えられないまま精神的・肉体的な疲労に追い込まれていきました。

特に、便器を取り調べ室に持ち込まれるなど、過酷な環境下での取り調べが行われ、最終的に袴田さんは自白を強要されました。しかし、公判が始まると袴田さんは一転して無実を訴え、自白が無理やり引き出されたものであったことを明かしました。再審では、このような強要による自白が有罪判決の根拠として使われたことが大きな問題となり、袴田さんの無罪を示す一因となったのです。

1年以上味噌に漬かった衣類と血痕の化学的証明

袴田事件の再審で最も重要な証拠の一つとなったのは、1年以上味噌に漬かっていたとされる5点の衣類に付着した血痕の状態です。検察側は、これらの衣類が事件の際に袴田さんが着ていたものであり、犯行を裏付ける証拠だと主張しました。しかし、血痕の「赤み」が1年以上経っても残っていることが不自然だと指摘されました。

弁護側は科学的な実験を通じて、血液が時間の経過とともに酸化し、通常であれば黒っぽく変色することを証明しました。特に、味噌の成分に血液が長期間さらされると化学反応が起き、赤みが消えることが確認されています。したがって、発見された衣類の血痕が鮮やかな赤色を保っていたことは、衣類が後からタンクに入れられた可能性を強く示しており、この証拠は捏造されたものであるという主張が支持されました。この科学的証明は、冤罪の大きな根拠となりました。

冤罪確定後、袴田さんが迎えた今

袴田さんは2023年、再審によって無罪が確定しましたが、その長い収監生活による影響は深刻です。袴田さんは約半世紀にわたり、死刑囚として過ごしました。死刑判決が確定してから数十年間、常に死刑執行の恐怖に晒されていたため、精神的なダメージが大きく、釈放後も意思の疎通が困難な状態が続いています。

現在、袴田さんは姉のひで子さんや支援者たちに見守られながら日々を過ごしています。長期間の収監生活がもたらした影響は完全には癒えておらず、日常生活に戻るのは容易ではありません。しかし、無罪が確定したことで、袴田さんは法的には自由の身となり、冤罪が公に認められました。袴田さんの回復には時間がかかるかもしれませんが、彼を支える人々の努力によって少しずつ新たな生活が築かれていくでしょう。

姉のひで子さんが語る無罪への思い

袴田巌さんの無罪が確定したとき、最も長く彼を支えてきた姉のひで子さんは、その思いを語りました。彼女は、58年間という長い年月にわたり、弟の無罪を信じ続け、日々を戦い抜いてきました。この間、ひで子さんは何度も困難に直面しましたが、弟が無実であるという強い信念が彼女を支え続けたのです。

ひで子さんは「平常心でいる」と話しつつも、内心では無罪判決を強く期待していました。特に、弟が長期間にわたり不当な収監を受けていたことへの怒りや悲しみを抱えながらも、冷静に裁判の行方を見守ってきました。また、弟が無実であると確信し続けたことで、58年という長い年月を耐え抜くことができたとも振り返っています。

ひで子さんは、袴田さんが無罪を勝ち取ったことに対して喜びを感じている一方で、弟の精神的なダメージが深く、回復に時間がかかることを心配しています。それでも、「弟は無実だ」と信じ続けたその思いがついに実を結んだことは、彼女にとって大きな安堵と達成感をもたらしたことでしょう。

  • 袴田事件は1966年に静岡県で発生した一家4人殺害事件である
  • 袴田さんは当初無実を主張したが、厳しい取り調べで自白を強要された
  • 1968年に死刑判決が下されたが、再審請求が繰り返された
  • 5点の衣類に付着した血痕の赤みが冤罪の争点となった
  • 再審で、味噌タンクに1年以上漬かった血痕が赤いのは不自然とされた
  • 専門家の実験で血痕が黒く変色することが証明された
  • DNA鑑定により、衣類の血痕は袴田さんや被害者のものではないことが判明
  • 捜査機関による証拠捏造の可能性が指摘された
  • 姉のひで子さんが58年間、弟の無実を信じて支え続けた
  • 2023年の再審で袴田さんの無罪が確定した
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